2023年6月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の炎
- 岡田由季が、句集『中くらゐの町』をふらんす堂より6月2日に刊行。著者はあとがきに〈本書は『犬の眉』に続く第二句集です。二〇一四年から二〇二二年までの句から三二八句を選び、収録しました。編年体を採らず、内容を踏まえて章立ておよび配列を行いました。三十代までに十数回の転居をしましたが、気が付くと、今の住居での暮らしが十九年ほどにもなります。都会でもなく、本当の田舎でもない、当地での生活にいつしか馴染んだようです。ここ数年はコロナ禍ということもあり、一層、地元と向き合うことが多くなりました。そのような生活のなかで、句の多くが生まれました〉と叙述。
- 飛田園美が、句集『夏生る』を百年書房より4月に刊行。栞に石寒太主宰が「父と子の交響」と題して文を認め、〈飛田園美さんが、私と一ノ木文子さんが指導するNHKの町田俳句教室にあらわれたのは、いつのことだったろうか? まだ数年しか経っていない。来た時は、もう俳句のかたちが出来ていて、初心者ではない、そう思った。それよりも彼女は俳句のすがたはもとより、何を詠みたいのか、それがはっきりしていた。この志こそが俳句では大切である…、私はそう確信している。装幀の鯛の絵は、飛田さんの父上の初期の作品である。句集を読んでもこの父の影響が大変強い。いってみれば、この句集は父に捧げられた、といっても過言ではないだろう。「あとがき」にも「父が形にしておけよと言わなければ、この本もなかったと思います」と記している。彼女の句は、まだまだ完成の途上にある。毎回たち止まり、また一歩進むという形で、日に一歩ずつ句の精進がめざましい。平凡なことばであるが、継続こそ力である〉と紹介。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「作品12句」において田島健一が「白い雲雀」と題し、〈伐る晴れた樹に懐かしい蝶が出る〉〈桜餅脱いでも濁らない身体〉〈海胆海辺ふるい湊が硝子になる〉〈雲の図鑑白い雲雀と暮らしてる〉など12句を発表。
- 「第30回都留市ふれあい全国俳句大会」が応募総数3,029句(一般部門)から選者5名(稲畑廣太郎・井上康明・高野ムツオ・西村和子・星野高士)により大賞など特別賞8本と各選者の正賞1句・準賞5句・入選30句を決定し、5月27日開催の大会にて表彰。
・井上康明選「入選」〈雪晴やひかりを渡る鳥のこゑ 北悠休〉
・高野ムツオ選「入選」〈間延びせし防災無線神の留守 鮫島沙女〉
・西村和子選「入選」〈赭々と富士暮れ残る大花野 鮫島沙女〉
・西村和子選「入選」〈間延びせし(前掲)鮫島沙女〉
・星野高士選「入選」〈百歳のまだ百歳と初笑ひ 曽根新五郎〉 - 「第17回角川全国俳句大賞」(角川文化振興財団)が応募総数自由題6,298句、題詠「草」2,314句から、「選者賞特選」各選者自由題5句題詠2句・「選者賞秀逸」各選者自由題20句題詠5句・都道府県賞を決定し、総合誌「俳句」6月号に発表。
・伊藤伊那男選「秀逸」〈折り鶴へ三月十一日の息 曽根新五郎〉
・髙田正子選「秀逸」〈元日の太平洋で顔洗ふ 曽根新五郎〉
・三村純也選「秀逸」(題詠)〈晴れてくる松虫草のあをさかな 曽根新五郎〉 - 「宇多喜代子&星野高士の句会コース」(NHK学園)2023春句会
・題「草餅」宇多喜代子選「秀作」〈擂鉢に土の香残し蓬餅 たむら葉〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)6月号「四季吟詠」
・行方克巳選「秀逸」〈音たてて富士の樹海の木の芽雨 曽根新五郎〉
・髙橋千草選「秀逸」〈アトリエの小窓の雫花の雨 曽根新五郎〉
・水内慶太選「佳作」〈確かなる鼓動の響き大旦 森山洋之助〉
・山崎聰選「佳作」〈建売の幟はためく梅林 森山洋之助〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号「投稿欄」
・角川春樹選「秀逸」〈スケボーに春の天地の裏返り 結城節子〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号「令和俳壇」
・題「指」夏井いつき選「秀逸」〈中指は私の墓標息白し 曽根新五郎〉
・題「指」夏井いつき選「秀逸」〈ポリープは親指大に春の雪 小野久雄〉
・井上康明選「秀逸」〈春満月夜ごと朽ちゆく座礁船 小野久雄〉 - 毎日新聞5月16日「毎日俳壇」
・片山由美子選〈人の手に渡る旧家や燕の巣 谷村康志〉 - 産経新聞5月18日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈陰口を叩けば椿落ちにけり 谷村康志〉 - 産経新聞5月25日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈蛇穴を出て暫くは職探し 谷村康志〉 - 毎日新聞5月29日「毎日俳壇」
・井上康明選「一席」〈メーデーや姿勢崩れぬ盲導犬 谷村康志〉=〈メーデーのデモ行進の中に盲導犬がいる。5月1日の日を浴びて人々は疲れ気味だが、盲導犬はいつも前を向き姿勢正しい〉と選評。 - 日本経済新聞6月3日「俳壇」
・横澤放川選〈ぶらんこや老いとは長き紙芝居 谷村康志〉=〈紙芝居とは、しかも長きとは面白いことに譬えた。紙芝居は飴売りのいわばおまけだ。ぶらんこに軽く揺れての一寸した自照の眼〉と選評。 - 朝日新聞6月4日「朝日俳壇」
・大串章選〈県境を躊躇ふやうに揚羽蝶 谷村康志〉=〈「躊躇ふやうに」がおもしろい〉と選評。 - 産経新聞6月8日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈馴れ合ひの総代会や桜餅 谷村康志〉 - 日本経済新聞6月10日「俳壇」
・横澤放川選〈代掻に一と日明け暮れ木桶風呂 谷村康志〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の「私の一冊」に三輪初子がエッセイを寄稿、〈十数年前、ある古本市で、金の帯に立ち上がる文字が目に飛び込んだ。『山本健吉基本季語五〇〇選』(講談社 昭和六十一年第一刷)であった。編纂の編集者、選句者等の記名がなく、監修の山本健吉氏の独壇場であることに、胸が高鳴り即購入した。春たけなわの頃、ふと「蝶」を思い早速に『基本季語五〇〇選』の扉を開いてみた。従来の歳時記の索引なら「動物」の筈だが、なんと「山野」の項にあった。二頁に渡る解釈、註釈が専門書籍のようである。「昆虫界でもっとも美しい仲間の蝶が、『万葉集』に一つも詠まれていないが、『懐風藻』には詠まれている」から始まり、古典歌集や源氏物語の「胡蝶」の巻でのその生態の可憐さや学術的な紐解きの妙味を知る。その一方「ドナルド・キーン氏に逢ったとき、アメリカ人は蛾は美しいと思うが、蝶は美しいと思わないと聞き、びっくりした」との興味を誘うコメントの柔軟さに敬服〉と叙述し、あわせて〈ふたたびの恋の夏蝶翔ばず舞ふ〉など近作3句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の特集「私の「俳号」の由来~こめられた思い」に西川火尖が寄稿、〈俳句を始めたのは大学生の頃で、瞬く間にのめり込み、一年が経つ頃には結社に入って本格的に俳句に取り組みたいと考えるようになった。そして、それが俳号を付けようと思ったきっかけでもある。非日常感があって、口馴染みがよく、俳句が上手そうに見えて、もし有名になったら死後、忌日が季語になるかもしれないから三音ぐらいの俳号がいいかな等と妄想を逞しくした。いくつもの俳号候補が生まれては消え、最終的に「火泉(かせん)」と「梨男(なしお)」で脳内最終選考が行われた。まず「火泉」は、入会を決めた「炎環」のイメージから「火」、好きな俳人である渡邊白泉から「泉」を取って「火泉」である。次は「梨男」。これも好きな俳人である富澤赤黄男にあやかっている。歳末の柿市に因んだという赤黄男に対して、私は梨が好きなので「梨男」というわけだ。しかし、別にそこまで強く梨好きをアピールする必要はなく、皆に「梨男」と呼ばれたいかというと、それもちょっと微妙だったのであえなく「梨男」はボツとなった。残った「火泉」であるが、最後まで「泉」がしっくりこなくて漢字を変換していくうちに、渡邊白泉の「泉」の音はそのままに、揺らぎながら燃え続ける火の尖端「火尖」にすることを閃き、その日から私は「西川火尖」となった〉と叙述し、あわせて〈よく笑ふ人に見つかる筆竜胆〉など近詠3句を発表。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「新刊サロン」において、渡部有紀子句集『山羊の乳』の書評を山岸由佳が「探究心のその先に」と題し、〈第三十七回俳壇賞受賞作家の第一句集。著者は、評論にも力を入れており、同年に、俳人協会新鋭評論賞を受賞している。作句と評論の両立は容易なことではないが、句集冒頭〈人日の赤子に手相らしきもの〉とあるように子育ての真っ只中でもある。但し、本句集は、決して子育て俳句のみに括られるものではない。自己の内面を全面には出さず、広く外界に開かれた冷静な眼差しが句集全体に貫かれている。おおらかに飾らない詠みぶりも氏の持ち味だろう。 《草笛を吹くとき肩のあがりやう》《飛込みし鳥の重さや花万朶》 草笛の句は、象徴や意味から逃れ、ただあるがままに読み、無限のような広がりを味わいたい。勢い良く飛び込んだ鳥は、咲き誇る桜に隠れ枝を揺らしている。視覚から普段思わない鳥の重さに思いを馳せた〉と叙述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「新刊サロン」が「岡田由季が評する角川書店の新刊」を掲載。岡田はここで青木遵子句集『而して』、松本珍比古句集『花蘇芳』、星野立子賞選考委員会編『星野立子賞の十年』、桜かれん著『俳句の国際化と季語―正岡子規の俳句観を基点に』の4冊を批評しつつ紹介。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の「全国の秀句コレクション」が、同誌編集部が多くの受贈誌の中から選んだ29句(1誌1句)の一つとして、「炎環」5月号より《地虫出づ学級閉鎖の子とふたり 河内協子》を採録。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の大特集「季語の力 世界を認識する思想」において「季語を通して現代的テーマ・社会の変化を詠む」をテーマに渡部有紀子氏が「変わりゆく「子供・子育て」と季語」と題して20句を選びそれぞれを鑑賞、そのうちの1句に《非正規は非正規父となる冬も 西川火尖》が取り上げられ、〈一九八四年生まれの作者が新卒として就職活動をした頃、日本はバブル崩壊後の就職氷河期であり、多くの若年層が不本意ながら派遣社員やアルバイトといった非正規雇用に従事することとなった。不安定な就労ではスキルを身に付けることも困難なため、非正規での就労者が固定化、子を持つ年齢にまで達しているのが現代である。季語の「冬」には、先行きへの不安と同時に、まだ自分たちの氷河期は続いているのだと告発するような静かな怒りを感じる〉と記述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の大特集「季語の力 世界を認識する思想」において「季語をほぐして生かした秀句」をテーマに小田島渚氏が「季語のフロンティア」と題して21句を選びそれぞれを鑑賞、そのうちの1句に《しろき根のあらはに雨のあたたかし 山岸由佳》が取り上げられ、〈春は彼岸のころから少しずつ暖かくなるが、「暖か」は気温がほどよく、心地良い温暖な気候を示す。春らしい陽気から能動的で前向きな向日性がある。山岸句では、樹木の根に降る雨が暖かいと、暖かが雨の水温であるとともに、雨の寛容な想いとなっている。白く露わになっている根に、生々しい生の痛みのようなものが宿り、心情的に動けずにいる作中主体が投影されていることに気づかされる。あ音のリフレインが畳み掛けながら、雨の持つ力に心が静かに解かれていく〉と記述。また《手から手へどの手がゐもり捨てにゆく 西川火尖》も取り上げており、〈「蠑螈」は両生類で水のある場所に生息し、浮き沈みする様子などがユーモラスに詠まれる。西川句は、子どもたちが蠑螈を捕まえて遊んでいる無邪気な様子が、下五の〈捨てにゆく〉で一変する。蠑螈は切り捨てられるべき存在となり、その捨てるという無慈悲は行為を誰も引き受けたくはなく、押し付けあっている。どこかしら無邪気さは消えず内省のないままであるところも、現代社会に対する批評性を感じさせる〉と記述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「合評鼎談」(奥坂まや・津髙里永子・堀本裕樹)の中で、同誌4月号掲載の宮本佳世乃作「ぽつこり」について、堀本が〈《三月の山もりあがるうねるゐざる》 「三月の山」をこのように動的に捉えた句は、珍しいと思いました。〈盛り上がる〉はあるかもしれませんが、〈うねるゐざる〉まで畳み掛けた表現は見たことがない。〈ゐざる〉は座ったまま進むことでしょうね。油絵の具で濃く塗りたくっていくような、動きのある命溢れる山を想像します。 《硝子戸のかほがふたつになり春ぞ》 何の顔かは分からない。ひょっとして兄弟や姉妹かもしれませんし、猫かもしれない。いろんな顔が想像できます。最初は一つだった顔が、見ているうちに二つになった。滑稽味と、いろいろ想像させる楽しさがまさに春だと感じました〉と批評。