2023年11月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 東京新聞10月25日夕刊の文化欄が「俳人の石寒太さん 第1句集『あるき神』を復刊 300冊限定」という見出しの記事を掲載。〈(『あるき神』の)初版本の発行も300部で、現在は入手困難なことから、石さんは「『炎環』は比較的、二、三十代の若手も多い。読み継いで、次世代につないでほしい」と復刊を決めた。装丁も初版本をほぼ踏襲。別刷りで、市ノ瀬遙さん、西川火尖さんの同人が、新たに「あるき神」の考察を書き下ろした。「言葉の使い方など、句を詠む技術は昔より巧みだが、思いやり、人とのつながりが感じられなくなっている。俳句は、複数の人が言葉を連ねていく俳諧がルーツ。人との関係性を大事にしてほしい」と後進に向けて熱く語る。今でも各地の句会に「あるき神」のごとく足しげく顔を出している〉と報じています。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)11月号の「俳句へのまなざし」(大西朋氏)が《露の玉石つ子賢さ石拾ふ 石寒太》を取り上げ、〈宮沢賢治を詠んだ連作の中の一句。宮沢賢治は言わずと知れた「石つ子賢さ」。嬉々として大好きな石を拾う姿が見え、その傍らの石や草々に露の玉が美しく光る。川端茅舎の「金剛の露ひとつぶや石の上」も発想のベースにあるのかも知れない〉と鑑賞しています。句は「俳句界」9月号より。
- 結社誌「笹」(柴田鏡子代表)の「現代俳句月評」(赤木和代氏)が《カンパネルラ空の孔より流れ星 石寒太》を取り上げ、〈宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に因んだ一句。〈空の孔より〉の中七の発想が上手い。主人公ジョバンニやカンパネルラが銀河鉄道の旅に出かけた夜空から、現在の我々にささやかな幸せに繋がるであろう。〈流れ星〉を見せてくれたかのようである〉と鑑賞しています。句は「俳句界」9月号より。
- 結社誌「栞」(松岡隆子主宰)10月号の「俳句月評」(吉田幸敏氏)が《永遠の未完玄冬の海へ 石寒太》を取り上げ、〈「賢治幻想21」と題する特別作品である。宮沢賢治へのオマージュともいうべき句群である。賢治にゆかりのある言葉、いわゆる賢治語ともいうべき、キーワードが頻出し、賢治のあれやこれやを思い起こしながら、読み進める楽しみがある。いくつか拾い出してみると「やまなし」のクラムボン、「雁の童子」、「虔十公園林」、「狼森・笊森・盗人森」、「フランドン農学校の豚」、「鹿踊り」、「どんぐりと山猫」などの童話、「銀河鉄道の夜」のカンパネルラ、賢治語の「イギリス海岸」や「石っこ賢さ」賢治ワールド全開である。賢治は終生にわたって、作品に手を入れ続け、いまではその詳細を辿ることもできる。賢治の作品は永遠の未完と言ってもよいであろう〉と鑑賞しました。句は「俳句界」9月号より。
- 結社誌「鷗座」(松田ひろむ代表)10月号の「受贈誌より」(安藤草太氏)が「炎環」8月号(518号)について書いています。抜粋して引用すると、〈主宰が書いたものを含め評論、俳句鑑賞、随筆などは十数ページと少ないが、投句を添削したページがあるのは本誌の特徴であろう。また巻末の一ページを使って「今月号の難読漢字の読み方」があり、初心者にとっては大きな助けになると思える。本号で、個人的に興味があった記事は多摩句会による旧陸軍登戸研究所跡地(現在の明治大学生田キャンパス)吟行記である。巻末にある編集後記を読むと、原稿のデジタル化について書かれている。現在「炎環」への投稿はほぼ全てがテキストデータで送られており、編集作業の大幅な省力化がされている。印象に残った主宰句を一つあげる 《用のなきことの快楽よ夏つばめ 石寒太》〉と述べています。
- 結社誌「岳」(宮坂静生主宰)9月号の「展望現代俳句」(川村五子氏)が《楸邨のこと語るべし夏の朝 石寒太》を取り上げ、〈楸邨門下の寒太は折に触れ、楸邨を語っている。二〇二二年十月末に隠岐島で後鳥羽院遷幸八百年記念の俳句大会が行われ、その際のシンポジウムに於いても大いに語られている。兜太、寂聴、杏子と次々と旅立って行った今、人間探求派と言われた楸邨を大いに語り理解しようと呼び掛ける。七月三日が忌日の楸邨にさらりと置いた「夏の朝」が効いている〉と鑑賞しました。句は「炎環」7月号より。
- 結社誌「萌」(三田きえ子主宰)2月号の「名句探訪」(岡葉子氏)が《胴震ひして隠岐牛の雪払ふ 石寒太》を取り上げ、〈隠岐の島には「牛突き」の伝統行事がある。承久の乱で隠岐に流された後鳥羽法皇をなぐさめるためにはじめられたともいわれる。掲句は冬期の訓練か、あるいは移動の際か。胴震いして雪をはらったというのである。牛と雪の色彩、軽重の対比があざやかである。「胴震ひして」の表現に臨場感がある〉と鑑賞しました。句は「俳句」2022年11月号より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)11月号付録『季寄せを兼ねた俳句調二〇二三〈冬・新年〉』が《胴震ひして隠岐牛の雪払ふ 石寒太》《冬怒涛沖白浪の隠岐泊まり 石寒太》を採録しました。
炎環の炎
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)11月号の「俳句と短歌の10作競詠」に岡田由季が「タイカレー」と題して、〈ぎゆつと目を閉ぢてゐるなり木守柿〉〈むささびや読むと眠つてしまふ本〉〈タイカレー店に熊手のよく似合ふ〉〈音小さくすると綿虫見えてくる〉など10句を発表、これに「綿虫」と題したエッセイを添え、〈俳句初心者の頃、「綿虫やそこは屍の出でゆく門 石田波郷」を知り、綿虫の儚く切ないイメージが脳にインプットされた。大阪南部の私の小さな庭にも、綿虫が姿を現す日が一年のうちに一回か二回ある。アブラムシの仲間というから、件の儚いイメージが無ければ、ガーデニングの害虫としてしか認識しなかっただろう。しかし歳時記に洗脳されている私は綿虫を見るとテンションが上がる。マクロレンズを向けると、小さな綿を纏った繊細な姿が見えた〉と記述。当企画での競詠相手は歌人の魚村晋太郎氏で、〈むささびや〉の句について氏は〈開いたままふせて置いた本は滑空するむささびに一寸似ている。岡田さんはそんな行儀の悪いことはなさらないかも知れないが、私は仰向けに寝転んで本を読むことがあり、眠くなると開いた本を顔にのせたりすることがあった。むささびの句を読んで、そのときの頁のひんやりした感じまでよみがえってきた。眠くなる本というのは普通は退屈な本だけれど、この本には何か大切な秘密が書かれていて、本は眠りを誘うことでその秘密を守っているのではないか〉と鑑賞。
- 「第34回お~いお茶新俳句大賞」(伊藤園)が応募総数1,921,404句(小中高生等を除く一般の部は125,674句)から8名の審査員(浅井愼平・安西篤・いとうせいこう・金田一秀穂・夏井いつき・宮部みゆき・村治佳織・吉行和子)により大賞・優秀賞・審査員賞・後援団体賞・都道府県賞・佳作特別賞など入賞2,000句を決定して、10月23日ホームページにて発表。入賞の2,000句は市販の「お~いお茶」パッケージに掲載。
・「都道府県賞(新潟県)」〈星の子をかくまっている狐の尾 このはる紗耶〉 - 「第51回新俳句人連盟賞」評論の部が9名の選考委員により、北悠休作「棄民史から立ち上がる俳句」を「佳作」と決定し、機関誌「俳句人」9月号にて発表。選考委員の望月たけし氏は〈評論の部は応募一篇でしたが、質の高い内容のある評論で、待ち望んでいた「入選」に推します。「棄民史」と俳句詩型をぶっつけ、「立ち上がる俳句」とはいい発想契機です。水俣、ハンセン病、3.11をよく研究した成果が実っています〉と、また石川貞夫氏は〈評論らしい重みを受けとめさせてもらった。入選に相応しい労作と思う。明治以降、国家権力による、「棄民政策」と、それに連らなる表現抑圧の実態。それと抗う表現者の苦闘を詳述。「民衆詩として、俳句の果たす役割は大きい」との激励も受けた〉と選評。
- 「第69回守武祭俳句大会」(俳祖守武翁顕彰会・三重県伊勢市)が応募約2,000句から10名の選者により、大宮司賞・伊勢市長賞・俳祖守武翁顕彰会長賞・中日新聞社賞の各賞と各選者の天・地・人・秀逸5句・入選10句を決定して、9月15日表彰。
・前田典子選「天賞」〈春潮の埠頭に総出島に医師 鈴木経彦〉
・石井いさを選「天賞」〈廃校の記念樹にハグ卒業生 鈴木経彦〉 - 「宇多喜代子&星野高士の句会コース」(NHK学園)「2023秋句会」
・題「新涼」宇多喜代子選「佳作」〈路地裏のくりやの音よ秋涼し たむら葉〉
・「写真課題」宇多喜代子選「佳作」〈曼珠沙華空に広ごる夢ひとつ たむら葉〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)11月号「俳壇雑詠」
・能村研三選「秀逸」〈七夕の日の雨男雨女 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)11月号「四季吟詠」
・秋尾敏選「特選」〈夏衣ひとり遊びは憑依して 松橋晴〉=〈子どもが何かになりきって遊んでいる。それを「憑依」と言ったのだろう。しかし、考えてみれば大人の「ひとり遊び」も、何かに取り憑いている状態であろう。いや、取り憑かれているというべきか。夏の衣服は白が多い。白は特別な色で、呪術師や祈禱師も着る。季語と事象が遠い連想で結ばれていて深い〉と選評。
・秋尾敏選「秀逸」〈熱帯夜人魚のはづす眼の鱗 田辺みのる〉
・浅井愼平選「秀逸」〈母老いて私も老いし夜の秋 曽根新五郎〉
・野木桃花選「佳作」〈背のびして俗世見渡す立葵 森山洋之助〉
・上田日差子選「佳作」〈びつちりの船虫飴の匂ひかな 曽根新五郎〉
・上田日差子選「佳作」〈白百合を待つ空き瓶の独り言 阪上政和〉
・森清堯選「佳作」〈歯磨きもリハビリ月下美人笑む 山本うらら〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)11月号「投稿欄」
・古賀雪江選「特選」〈表札の外されし跡晩夏光 松本美智子〉=〈古い門扉に表札の外された跡がまだ新しい。庭には紫陽花が咲き終わって蟬の声も聞こえ、百日紅が盛りである。映画の一シーンを見るような景で界隈の街並みの様子も浮かんでくる。晩夏光が効果的〉と選評。
・古賀雪江選「秀逸」〈熔接の鉄焼く匂ひ夾竹桃 小野久雄〉
・能村研三選「秀逸」〈残照の水辺の風の半夏生 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)11月号「令和俳壇」
・五十嵐秀彦選「秀逸」〈保険屋の売りに来たる死西日落つ 松本美智子〉 - 読売新聞10月9日「読売俳壇」
・正木ゆう子選〈痩身は夕日にまぎれ刈田原 谷村康志〉=〈夕日が眩しくて、逆行の中に居る人が確と見えない。痩身なら尚のこと、光に紛れて、誰なのかわからない。美しく穏やかな刈田の景〉と選評。 - 毎日新聞10月16日「毎日俳壇」
・西村和子選〈病廊のひそひそ話秋湿り 谷村康志〉 - 産経新聞10月19日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈賂を充分積んで美術展 谷村康志〉 - 読売新聞10月23日「読売俳壇」
・正木ゆう子選〈古地図にもある銭湯や小鳥来る 谷村康志〉 - 日本経済新聞10月28日「俳壇」
・神野紗希選〈名月や陣痛室のメロンパン 谷村康志〉=〈分娩が始まるまで、陣痛をこらえて待つ陣痛室。せめて名月の代わりに、メロンパンを食べて備える〉と選評。 - 産経新聞11月2日「産経俳壇」
・宮坂静生選「一席」〈空也吐く小さき仏や秋渇き 谷村康志〉=〈六波羅蜜寺の開基空也上人が唱えた「南無阿弥陀仏」の念仏が6体の阿弥陀如来に変わる。実りの秋を迎え、気持ちが満たされる連想を見事に描く〉と選評。 - 毎日新聞11月6日「毎日俳壇」
・西村和子選「一席」〈望の月五度も六度も振り返り 谷村康志〉=〈ふつうは二、三度だが、句を詠もうとする執着の表れが、実作者の共感を呼ぶ。終止形で止めない点も効果的〉と選評。 - 読売新聞11月6日「読売俳壇」
・小澤實選〈張り込みの吸殻五つ望の月 谷村康志〉=〈名月の夜、容疑者を張り込みする刑事が、吸殻を5つ残した。これによって、数時間ここで過ごしたことがわかる。刑事俳句、珍しい。〉と選評。 - 産経新聞11月9日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈通夜の灯や三和土の隅にちちろ虫 谷村康志〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)11月号の特集「俳句で綴る自分史」に西川火尖が「選択」と題する文章を寄稿。〈23歳 《百日紅やはり稼がねばと思ふ》 就職活動で唯一内定が出た会社は法人相手の飛び込み営業の会社だった。しかし、配属された関西の営業所では成績不振が続き、だんだん上司から詰められるようになった。結局一度も販売ノルマを達成することができず、一年が経つ頃には完全に気持がへし折れてしまった。そのころ私は朝から途方に暮れて公園のベンチにへたりこみ、昼過ぎまで立ち上がることができなかった。そんな時にできたのがこの句である。二カ月後、逃げるように会社を辞めた。 25歳 《敗色の豊かになりぬ冬菫》 その後、上京し無職のまま恋人と同棲を始めた。半年の求職期間を経て、駅の警備の仕事に就いた。営業ノルマがなく、適度に体を動かし、人に優しくする仕事は、弱っていた私にはありがたかった。前職の傷はみるみる回復し、そのまま正社員になった。彼女とひっそりと結婚し、世間の「競走」には何一つ勝てないまま押し流されていく生活ではあったが、穏やかな数年を過ごした。当時、度々自分とその暮しを「敗色豊か」と言い表していて、この句はその時のものだ。 35歳 《注がれし如入学の列来る》 その後、警備の会社を前向きな理由で辞め、今の会社に入社した。また非正規雇用からのスタートだったが、息子も生まれた。(息子の)小学校入学の日、式の入場行進の中に息子を見つけた。祝う気持に混ざって、初めて息子が社会に押し流されていくような、息子にこれまでの自分を重ね合せるような嫌な想像をした。その想像を振り払い、個としての彼の輪郭を再び取り戻そうと彼の背を見つめた。私は、子供を持つという選択が、我々を押し流そうとするものに抵抗するきっかけになったことを思い出していた〉と叙述。
- 結社誌「小熊座」(高野ムツオ主宰)10月号の「渾天儀」に柏柳明子が寄稿、存命俳人の感銘句一句とその鑑賞文をという同誌からの求めに応じ、遠藤由樹子句集『寝息と梟』より〈一生にも大昔あり冬たんぽぽ〉を取り上げ、〈「昔、こういうことがあったんだけど」。過去を振り返るとき、私たちはしばしばこんなフレーズを使うことがある。ふと自分が「遠いところ」に来てしまった、と思う瞬間。だからこそ、一生は儚くもときに眩しく映るのかもしれない。そんな感慨に寄り添う季語・冬たんぽぽ。静かに耐えながら地に根を張り春(生命の盛り・循環)を待つ姿を想像できる。また、「大昔」という言葉には地球規模の時間のイメージが重なってくる。生物の一生も地球の時間の一部であるということ。その事実は十七音の裡に宿り、インパクトと深い余韻を読者へもたらしている〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)11月号の「田島ハルの妄想俳画」が《秋燕スカートの日ズボンの日 岡田由季》を取り上げ、〈外出前に鏡に映した自分のファッションがきまっていると、背筋が伸びて歩き方まで颯爽とする。スカートの日は優しく、ズボンの日はキリッと。気分も変化する。春に渡ってきた燕は秋になると南の地へ帰る数千キロの旅に出るそうだ。燕の旅立ちを見送る私達も、ファッションという鎧を纏ってどことなく逞しい〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)11月号の「合評鼎談」(奥坂まや・津髙里永子・堀本裕樹)の中で、同誌9月号掲載の近恵作「あたらしい枕」について、〈津髙「《蜩のしみ込むあたらしい枕》 蜩特有の「かなかな」という声が、ま新しい枕にしみ込んでくる。〈あたらしい枕〉で、蜩の声をとても気持ちよく聞いている感じがします」、奥坂「やはり蜩の声だから染み込むのでしょうね。これが油蝉とかではだめ。〈あたらしい枕〉で、布のまっ白な枕が見えてきました。白さが余計に蜩の声を呼び込みそうです。枕はまだ置かれた状態で、頭は載せていないと思いました」、堀本「僕も蜩の声が聞こえる家に住んでいますが、〈しみ込むあたらしい枕〉が感覚的に分かる。蜩は大抵朝か夕に鳴くので、この新しい枕はどんな状態にあるのか。僕は夕方かなと想像しました。まだ寝ないけど、枕をベッドにセッティングしているのでしょう。そんな状態のところに蜩が鳴いている。〈あたらしい〉の措辞に、枕と蜩の清潔感が出ていますね」、奥坂「《テーブルにこぼれたサイダーにも泡》 俳諧味というか、諧謔味のある一句です。たしかにこぼれたサイダーからも泡は出ています。サイダーの断末魔のような感じです(笑)。夏の暑さの中で、消滅していくサイダーの姿が見えてきました」、堀本「サイダーがコップや瓶など、何かの容器に入っている時の泡の立ち上がり方と、テーブルに広がった時の出方は違います。同じ泡だけど、そこをうまく見せてくれました。絶対に上がっていかない泡ですね」〉と合評。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)11月号の「新刊サロン」において鈴木牛後氏が岡田由季句集『中くらゐの町』を取り上げ、「「雑食の我ら」として」と題し、〈本句集を一読して、動物、ことに鳥の気配が濃厚であることに気付く。鳥が強く印象に残るのは、五章に分けられているうちの三番目の章「光の粒」に、多様な鳥が続けざまに登場することが大きいと思われる。 《燕来てまづは大きく川を飛ぶ》《雀来る昼寝の深きところまで》《翡翠の声と色とが別々に》《集まらぬ日の椋鳥の楽しさう》《文鳥の背中の匂ひ秋の昼》《色鳥の来てそれぞれに意中の木》《隼の空不等辺三角形》《笹鳴や光の粒の見えてくる》 四季折々の鳥の、その特徴的な姿がここにある。また、語り手と鳥との距離の近さも感じられる。それとは対照的に、人間に対しては冷ややかな視線を向ける。 《法事一族冬のビールを真ん中に》《乾杯の相手顔見ず黒ビール》《梅雨深し指紋だらけの部屋にゐる》 法事に集まった親戚も、祝い事で乾杯する相手も鳥ほどには近くない。 《物流の激しくありぬ朧の夜》《地下鉄の駅に月光浸みてくる》《星涼し電卓のもう進化せず》 これらは現代的な景。身近なのにどこかよそよそしい。 《雑食の我らの春の眠きこと》 鳥・動物・人間、そのすべてを包摂した「雑食の我ら」。現代を忙しなく生きる私たちは、そこに春の眠りのような安らぎを感じるのである〉と紹介。
- 結社誌「晨」(中村雅樹代表)11月号(隔月刊)の「光芒七句」(草深昌子氏)が《蜩のしみ込むあたらしい枕 近恵》を取り上げ、〈かなかなかなかなかなかなの囁きが手垢のつかない、新しい枕にしんしんと沁み入っていくというのである。それは蜩の声に聞き惚れてやまない作者の純粋無垢のこころがあればこそのものであろう。「あたらしい」という言葉の語感が、この句においていっそう新しく感じられる〉と鑑賞。句は「俳句」9月号より。
- 結社誌「沖」(能村研三主宰)11月号の「現代秀句鑑賞」(広渡敬雄氏)が《蜩のしみ込むあたらしい枕 近恵》を取り上げ、〈蜩は秋を告げる蟬。その夕かなかなの切ないような鳴き声が、下ろし立ての枕に染み入る。冬日に干した暖かな枕と違い、メルヘンチックな発想の枕で、心地よい夢が見られるだろう〉と鑑賞。句は「俳句」9月号より。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)11月号の「「現代俳句の風」を探る」において下村洋子氏が感銘十句抄の一つに《砲火の地あまねく月の光かな たむら葉》を選出。
- 結社誌「沖」(能村研三主宰)9月号の「現代秀句鑑賞」(広渡敬雄氏)が《瑠璃蜥蜴預言者のごと岩の上 柏柳明子》を取り上げ、〈岩の上に佇んでいる鮮やかな瑠璃蜥蜴を、霊感により啓示された神意(託宣)を伝達する預言者と譬える。荒唐無稽の様な想像力、いや直感も佳句を生み出す大きな力である〉と鑑賞。句は「俳句」7月号より。
- 結社誌「松の花」(松尾隆信主宰)8月号の「現代俳句管見 俳誌より」(松尾清隆氏)が《春雷や子どもが子ども取り囲む 田島健一》を取り上げ、〈何故に中七・下五のような状況になっているのかについてはさっぱり分からないのだが、一句に春の空に展開する積乱雲の如き躍動感が生じているのは間違いない〉と鑑賞。句は「俳句」6月号より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)11月号付録『季寄せを兼ねた俳句調二〇二三〈冬・新年〉』が《乾ききる砥石へそそぐ寒の水 曽根新五郎》《神の留守ナプキン尖がる皿の上 三輪初子》を採録。