2024年1月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 結社誌「澤」(小澤實主宰)1月号の「窓 俳句結社誌を読む」(梶等太郎氏)が「炎環」2023年5月号を対象として、主宰句から《東京にひとつ村あり春の闇 石寒太》を取り上げ、〈東京に村と名のつく地域があるとは驚きだ。「檜原村」である。掲句、一読、「村」の存在感がひしと伝わる。あえて余分な修飾を避けたぶん、そこに暮らしている人々の意気地を読者に想像させるつくりが巧みだ。作者が訪れたのは春。村全体から受ける印象として、万物を穏やかに包み込むやさしさを感じたというわけだ〉と鑑賞しました。
- 結社誌「藍」(花谷清主宰)12月号の「俳句月評」(近藤詩寿代氏)が《ひろびろし農学校の秋の豚 石寒太》《露の玉石つ子賢さ石拾ふ 同》《キックキックつつくつんつん月明り 同》の3句を取り上げ、〈一句目。賢治が教鞭をとった岩手県立花巻農学校(岩手県立花巻農業高等学校の前身)だろう。筆者は作品論などの高い見識など持ち合わせないがとにかく賢治の作品が好きでかつて花巻を旅し花巻農業高校も訪ねた。二句目は鉱石好きの賢治が幼少時「石つ子賢さん」とよばれていたことを想い起こす。三句目。〈キックキック〉〈つんつん〉は「雪渡り」の雪沓をはいた兄弟の足音と狐との踊りの場面にでてくるが作品をより味わい深く幻想的にしている〉と鑑賞しています。3句は「俳句界」9月号より。
- 結社誌「風樹」(豊長みのる主宰)11月号の「現代俳句月評」(苅田きく絵氏)が《カンパネルラ空の孔より流れ星 石寒太》を取り上げ、〈掲句〈カンパネルラ〉と聞いて一番に思い浮かべるのは、やはり「銀河鉄道の夜」。孤独な少年ジョバンニが友人カンパネルラと銀河鉄道に乗り旅をする物語である。〈空の孔〉と捉えられた作者の発想と想像力に、そのまま銀河鉄道の物語の世界へ引き込まれていく。流れ星はジョバンニが出会った魂の数ともいえる。〈カンパネルラ〉は、イタリア語で鐘という意味がある。次々と現れては消え去っていく〈流れ星〉。カンパネルラは魂が震わす鐘の音かも〉と鑑賞しています。句は「俳句界」9月号より。
- 結社誌「鷗座」(松田ひろむ主宰)の「愛唱一句(受贈誌他より主宰抄出)」がその月に選んだ34句の一つに、12月号では《今朝秋のゆきつくはなし尊厳死 石寒太》を、1月号では《黒揚羽ぎんどろの葉に憩ひをり 石寒太》を採録しました。前者は「炎環」10月号より、後者は11月号より。
- 吉村昭記念文学館の令和5年度企画展「長崎と私~吉村昭 百七回の探訪~」の展示解説パンフレット(東京都荒川区・11月1日発行)に、石寒太主宰が「吉村昭取材の旅先で経験したこと その楽しさと厳しさ」と題する文章を寄稿し、その思い出を語っています。
炎環の炎
- 箱森裕美が私家版の句集『鳥と刺繍』を2023年11月11日に発行。全262句。「鳥と刺繍」「すずかけ」「天から手」「Marshmallow」「草原に宝石」の4章にて構成。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)1月号の特集「雲従える辰年の俳人たち」において、近恵が「昼の匂い」と題し、〈肉体は端から傷み初日の出〉〈雨粒の透けて蠟梅昼の匂い〉など5句と短いエッセイを発表。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号「四季吟詠」
・野中亮介選「秀逸」〈エプロンは女の鎧芋嵐 山本うらら〉
・冨士眞奈美選「佳作」〈また来たか金釘流の年賀状 阪上政和〉
・今瀬剛一選「佳作」〈独り居に家族の集ふ盆提灯 森山洋之助〉
・渡辺誠一郎選「佳作」〈錆鮎は汀のひかり躱しをり 松橋晴〉 - 朝日新聞12月10日「朝日俳壇」
・高山れおな選〈竹馬をドン・キホーテに探したる 渡邉隆〉=〈痩馬に跨った騎士の名を冠した驚安の殿堂で、馬ならぬ竹馬を〉と選評。 - 朝日新聞12月10日「朝日俳壇」
・小林貴子選〈最後まで父の拒みし羽蒲団 渡邉隆〉 - 毎日新聞12月12日「毎日俳壇」
・西村和子選〈健啖の句敵五人ぼたん鍋 谷村康志〉 - 読売新聞12月18日「読売俳壇」
・小澤實選〈床の間の博多人形狩の宿 谷村康志〉=〈狩人が利用する宿の床の間には、獣の剥製か銃などが飾られていそうなもの。その予想をくつがえされた。博多人形がちょっと不気味〉と選評。 - 毎日新聞12月18日「毎日俳壇」
・片山由美子選〈湯気立や駅員ひとり客ひとり 谷村康志〉 - 産経新聞12月21日「産経俳壇」
・宮坂静生選「一席」〈熊穴に入りし姿は誰も見ず 谷村康志〉=〈熊に襲われたニュースが頻繁だ。熊も満腹にならないと冬眠できないらしい。空腹だと眼を覚ましているという。誰も穴の中の子細は知らない〉と選評。 - 読売新聞12月25日「読売俳壇」
・宇多喜代子選〈読み聞かす日本の神話神の留守 谷村康志〉 - 日本経済新聞12月16日「俳壇」が「2023年の秀作」に〈晩年の父もろかりき墓囲ふ 谷村康志〉(2月4日横澤放川選一席)を選出。
- 産経新聞12月28日「産経俳壇」が「今年の8句」に〈胸に灯のともる手紙や秋風鈴 谷村康志〉(10月5日対馬康子選一席)を選出。
- 毎日新聞1月8日「毎日俳壇」
・片山由美子選〈亡き人のことには触れず忘年会 谷村康志〉=〈集まったメンバーの共通の知人らしいが、忘年会が暗くならないようにとの皆の思い〉と選評。 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)の連載「現代俳句時評」を1月号より半年間、岡田由季が担当。1月号では「短詩型ジャンルとSNS」というテーマで論述、要約すると、〈いま、短歌ブームだという。SNSでの投稿の広がりが直近の短歌ブームの実態といったところ。象徴的に取り上げられているのが、岡本真帆の一首がX(当時はTwitter)上で「バズった」こと。フェイスブックに対しXでは、直接関心をもっていない情報でも、X上で流行していれば流れてくる。現状、Xは俳句の作品発表や鑑賞、各種イベントの告知、情報交換の場としてそれなりに機能している。タイムラインを眺めていれば俳句界隈での話題がおおむね追えるようになっている。このX上に形成されている俳句の「場」が、俳句ジャンルに何か変化をもたらすことはあるのだろうか。筆者には、今後の変化を生み出し得る、萌芽のようなものはそこにあるように思える。例えば、隣接ジャンルとの交流。X上にぼんやりと「短詩型界隈」というようなものが出現しているように見える。俳句や短歌、川柳、連句なども含めてひとつのゆるい場が形成されているようなのだ。これにより、例えば俳句のみに目を向けて俳句結社などの中で研鑽を積む場合にくらべ、創作や活動に自然に差異が出てくるのではないだろうか。無風といわれる俳句界にも、次の風はジャンルの壁を越えて外側からやってくるのかもしれない〉。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号の連載「俳人の本棚」第1回を田島健一が執筆、内田樹著『他者と死者―ラカンによるレヴィナス』を取り上げ、〈本書に出会ったのは二〇〇五年。本書は「難解とはどういうことか?」という問いから話が始まる。著者は、「難解」なテクストは、「『言いたいことがある』というよりはむしろ、読者に『何かをさせる』ため」のものだという。そのような「難解」な「他者」のことばを読むためには、「テクストの語義を追う読みから、書き手の欲望を追う読みへのシフト」が必要だと言うのだ。その言葉に触れた、二〇〇五年当時の迷える私は、「俳句もまた、そのような『他者』のことばではないか」と大胆にも思い至った。それ以来、本書は私にとって、かけがえのない「俳句入門書」となったのである〉と叙述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号の特集「俳句で時代を記録せよ」は、〈時代を映すキーワード(もの・出来事など)を詠み込んだ句や、表現で世相を映している句などを紹介〉するというもので、「平成の記録」を担当した成田一子氏がその選ぶ20句の一つに、《非正規は非正規父となる冬も 西川火尖》を採録。
- 結社誌「澤」(小澤實主宰)1月号の「窓 俳句結社誌を読む」(梶等太郎氏)が「炎環」2023年5月号を対象として、そこから主宰句のほかに5句を取り上げて鑑賞。《老人を探すビラ古り霾ぐもり 河内協子》に対しては〈最近では家出の老人が多いと聞く。ご家族の心配はいかばかりか。近くの電柱かなにかにビラを貼り探し求めたが、いつまでも見つかることなく雨風にさらされ古びてしまっているわけだ。下五の「霾ぐもり」が不安やもどかしさを掻き立てる〉と、《サーカスの杜に休める朧月 永井朝女》に対しては〈遠い記憶のなかの風景だ。神社の境内にサーカスがやって来たのだ。掲句から想像するにこの日はたまたま公演が休みなのだろう。夕闇の境内にテントだけがひっそりと大きく見える。テントの外では若い団員たちがくつろいでいる。つかの間の休息に朧月がやさしい〉と、《白梅やスーツ裏地の虎吠えし 吉田悦花》に対しては〈この句の主人公はもちろん阪神ファン。スーツの裏地に吠える虎を刺繍するなど、立派な筋金入りである。令和五年、開幕前のまだ梅が馥郁と咲く頃の、優勝を夢見る主人公の姿だ。下五「虎吠えし」が泣かせる〉と、《購買の焼きそばパンよ卒業す 小笠原黒兎》に対しては〈学生時代を振り返るに、学校の中に購買部があって、筆記道具等にまじってパンが売られていた。作者はとりわけ焼きそばパンが好きだったのだろう。思い出の詰った、たいがいの人に思いあたる学校生活が詠まれている。季語「卒業」に深い感慨を託す〉と、《最後までエンドロールを見て朧 飯沼邦子》に対しては〈現在のエンドロールは、それ自体、映画における大きな役割と効果を表示する。長いものでは十分近くになるものもある。観客はそれを最後までじっくりと見終えてから席を立つわけで、否応なしに余韻をかかえたまま外に出る。しばらく非現実と現実の境に置かれる。その微妙な心理を「朧」に辿りつかせたところがこの句の手柄〉と。
- 結社誌「青山」(しなだしん主宰)1月号の「今月の俳句」(坂東文子氏)が《初空や龍馬のブーツ海へ向く 谷村鯛夢》を取り上げ、〈土佐藩の下級武士の出の龍馬に許されていたのは草履履きだったはずであるが、「亀山社中」を設立し、進取の気性に富む龍馬はブーツを手に入れ愛用していたのだろう。桂浜の龍馬像は広い太平洋へ向けて建てられている。三十一年の短い人生を駆け抜けた龍馬のブーツは今も自由を追い求めている。高知県出身の作者にとって坂本龍馬は郷土の愛すべき先輩であり、新年に当たって龍馬の気概にあやかりたい作者の思いが句から伝わってくる〉と鑑賞。句は「俳句四季」10月号より。
- 結社誌「天塚」(宮谷昌代主宰)45周年記念号の「現代秀句鑑賞」(宇田川成一氏)が《白靴の濡れてカラオケ屋へ入る 西川火尖》を取り上げ、〈雨宿りのつもりでカラオケ屋があったので入ったのか、うっかり水溜りを踏んで濡らしたのか、白靴がいやに印象的だ。入ったのがスタバとかコメダとかでは普通、カラオケ屋が利いている〉と鑑賞。句は「俳句四季」7月号より。
- 結社誌「風土」(南うみを主宰)9月号の「現代俳句月評」(山田健太氏)が《みどりの夜どれかは効いてゐるサプリ 内野義悠》を取り上げ、〈現代の食生活の一端を表出。サプリとは、栄養補助食品のサプリメントのこと。食材ではなく、栄養を凝縮した錠剤にて栄養摂取。掲句はその摂取の仕方が過剰となり、どれが効いているかがわからなくなること、まさに、忙しく働く、かつての企業戦士を思い出す気分だ〉と鑑賞。句は「俳句四季」7月号より。