2024年3月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 毎日新聞3月9日のコラム「季語刻々」(坪内稔典氏)が《淡雪も金平糖もあをさかな 石寒太》を取り上げ、〈淡雪は早春に降る消えやすい雪、もちろん春の季語である。今日の句、「あるき神」(百年書房)から引いたが、帯に「傘寿記念・復刊」とある。つまり、1980年に出た句集の再刊である。この句集には私の愛誦句「かろき子は月にあづけむ肩車」があるが、この淡雪の句の繊細な青の美しさもいいなあ。作者は毎日新聞社員だった〉と鑑賞しています。
炎環の炎
- 折島光江が、句集『助手席の犬』をふらんす堂より2月8日に刊行。序文を石寒太主宰が「「エク」と夫と睦まじく」と題して認め、〈折島家に「エク」が来た。メスのトイプードル。「エク」は折島家の家族になった。《助手席の犬睡りをり春の雲》 題になった句だ。犬を迎えてから折島さんご夫妻の生活は一変した。何をするにも「エク」が中心、散歩はもちろん、旅行も彼女といっしょ。ご夫妻の間にいざこざが生じても、犬が仲直りさせてくれるようになった。この句集には、「エク」の句が多い。次に多いのは、もちろん夫・正司さんを詠んだ句。この句集をつくるきっかけになったのも、「そろそろ句集を纏めたら」という彼の一言によって決心したという。正司さんとは、大変仲良しではあるが、お互いにそれぞれの世界観を大切にし、尊敬し認め合っている、という。理想的な関係で、うらやましい限りである。光江さんの俳句生活も、すでに二十五年を経たという。彼女の句には、頭でつくった想像の句はほとんどない。自分の目を信じ、自分の心に触れた句しかつくらない。それが彼女の俳句。だからどの句も手堅い把握が表出されている〉と紹介。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)3月号の「精鋭16句」に、前田拓が「孵化」と題して、〈学び舎の巣箱の穴のやすりがけ〉〈鳥の巣の孵らぬものの重さかな〉〈紫木蓮つぼみは空を啄める〉〈夜桜や鼻息に飛ぶ鰹節〉〈遠足の大人の交ざる厠かな〉など16句を発表。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号の「クローズアップ」に西川火尖が「斑文」と題して、〈寒椿ほど遠縁の子に隣る〉〈尾の白き彼の世の遊び凧〉〈民棄ての福笑めく政〉など7句と、短いエッセイを発表。エッセイでは〈昨年十二月六日、パレスチナの著名な詩人であるリファアト・アル=アリイールさんがイスラエルによる空爆で亡くなった。彼を悼みパレスチナを想うため、一月六日、有志が代々木公園に集まり、それぞれがアリイールさんの詩「If I must die」に出てくる長い尾を持つ白い凧を揚げた。小さな小さな追悼と抵抗を、続けていこうと思う〉と叙述。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)3月号「四季吟詠」
・山崎聰選「佳作」〈山茶花や噓と知りつつ聞き流し 森山洋之助〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号「投稿欄」
・題「思」名和未知男選「秀逸」〈幼子の夢見不思議や竜の玉 小野久雄〉 - 読売新聞2月12日「読売俳壇」
・高野ムツオ選〈点滴の始まる床の淑気かな 谷村康志〉 - 産経新聞2月23日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈献血のあとの貧血掛蒲団 谷村康志〉 - 日本経済新聞2月24日「俳壇」
・神野紗希選〈梅が香や加賀友禅の名刺入 谷村康志〉=〈美しい手仕事を身ほとりに、加賀へのエールをこめて〉と選評。 - 毎日新聞3月4日「毎日俳壇」
・西村和子選〈長風呂や寒柝の音消えるまで 谷村康志〉 - 日本経済新聞3月9日「俳壇」
・神野紗希選〈山鳩や地震の地割れに雪間草 谷村康志〉=〈大地に息づく命にハッと光が差す〉と選評。 - 総合誌「俳句界」(文學の森)の「俳人の本棚」を執筆している田島健一が、3月号ではスラヴォイ・ジジェク著(鈴木晶訳)『ラカンはこう読め!』を取り上げ、冒頭に「ラカンによる愛の定義――「愛とは自分のもっていないものを与えることである」――には、以下を補う必要がある。「それを欲していない人に」。」をその著作から引用して掲出。その上で、〈ここでラカンが言う「自分のもっていないもの」とは、愛する主体に欠けた「欲望」を表している。この「欲望」が欠けていることこそが、人間を駆り立てるようにして「愛する(愛を与える)主体」に仕立て上げる。一方で「それを欲していない人に」とは、「愛されるものの立場にいきなり立たされること」が思いもかけず「強烈な発見であり、外傷的で」あることを示している。これを俳句に置きかえれば、俳句を書くのは自分自身が「何を書きたい(欲望)」かが分からないからであり、そこで書かれた句は読者に「強烈な発見」を与え、読者はその「外傷的」な経験に「解釈」を与えることで、その句(愛)を受け入れる、となるわけだ。ラカンの愛の定義を論理的に裏返すと「自分のもっているものを、それを欲しがっている人に与える」となるが、これは、平凡な日常性そのものではないか。そう考えてみると、俳句は「日常性の詩」ではない。俳句は「反日常性の詩」とでも呼ぶべきものではないだろうか。俳句は「愛」の文芸である。つまり「俳句を書くこと」は「愛すること」と同じ構造をもっている。だからこそ、我々が「良い句」と出会うとき、その句がまるでそれを読む私を驚かすためだけに書かれた(私だけを愛している)特別な一句であるかのように、感じられるのではないだろうか〉と詳述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)の連載「現代俳句時評」を担当する岡田由季が、3月号では「文学フリマという場」と題して、〈文学フリマは二〇〇二年に始まり、公式サイトの記述によると「作り手が「自らが〈文学〉と信じるもの」を自らの手で作品を販売する、文学作品展示即売会」である。東京では年二回開催されている。その他の地域でも、札幌・岩手・京都・大阪・広島・福岡で継続的に開催され、本年は香川でも開催が予定されている。文学フリマから商業作家デビューをする例も出てきている。高瀬隼子は十年以上「京都ジャンクション」という同人サークルのメンバーとして文学フリマに参加し、二〇二二年に『おいしいごはんが食べられますように』で芥川賞を受賞した。二〇二三年十一月の文学フリマ東京37は過去最大規模となり、一二八九〇人が訪れた。今年二〇二四年の冬からは、会場がついに東京ビッグサイトに移され、さらに拡大した規模で開催される予定だ。関西在住の筆者は、大阪や京都の文学フリマを何回か訪れたことがある。そこで回を追うごとに熱気の高まりを感じ、文学の創作と発信に情熱をもった人が多くいることに驚かされた。しかし小説や短歌などの他ジャンルの出店と比較して、俳句関係の出店は非常に少なく、俳句専門のブースは一つか二つであった。規模の大きい東京の文学フリマではもう少し多く、継続的な出店も何組かあるようだ。それでも、直近の出店数一八四三のなかの数ブースなので、かなりの少数派といえる。やはり同じジャンルのブースがある程度集ってこそ、互いに影響を与え合い、交流が活発化するのではないだろうか。少し寂しい状況に感じる。筆者の参加している吟行グループが十周年記念冊子を作成し、一月十四日、京都市勧業館「みやこめっせ」で行われた文学フリマ京都8に出店、販売した。筆者にとっては初めての、出店側での参加である。出店数は六三九。詩歌の出店のうち多くが短歌で、やはり俳句関係のブースは少なかった。今回は三六四三名の参加があり、京都としては過去最大。筆者のグループは出店料をまかなえる程度の売り上げを目標にしたが、無事達成できた。SNSの時代にこのような、作者と読者が直に対面するという、人間臭いイベントが活発となるのは不思議なものだ〉と叙述。
- 俳句結社「いぶき」(今井豊・中岡毅雄共同代表)に所属の船場こけし氏が、《生きてきた褒美は死なり蚯蚓鳴く 三輪初子》を取り上げ、〈ほんとそうだなあ、心にしずかに響きました。蚯蚓は鳴きません。じーと聞こえるのは、螻蛄が鳴いているのだと言われていて、その淋しい鳴き声に秋を想います。土中の闇の中で蚯蚓が呼びあっている。本来聞こえるはずのない音が小さな生命の存在を死後の世界でも伝えてくれているのではないでしょうか。人生の作りあげた物語も、かたちあるものも後の世に持っていくことはできないけれど、それぞれの人生の最期に「死」というギフトを褒美として頂くことができる、「がんばって生きてきましたね」自分の人生を肯定してあげる、そんなありがたいメッセージを受けとり励まされた気になりました。不確実な死への不安ではなく、「死に対して、ありがとう」なんだと思います〉と鑑賞。句は句集『檸檬のかたち』より。