2024年4月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の炎
- 総合誌「俳句界」(文學の森)4月号の「北斗賞受賞作家競詠」に西川火尖が、「ガーゼ」と題して〈石の歴史鉄の歴史や春の雪〉〈明るさやガーゼにうつる蝶の息〉〈春風や刺繍の如く地に生きる〉など7句と、短いエッセイを発表。エッセイでは〈イスラエル軍によるパレスチナ人虐殺をずっと見させられている。見ないようにすればいいとかそういう問題ではない。目をそらしても、仕事や掃除をしていても、作句をしていても、虐殺が続いていること自体に気持ちが塞がれ、壊されている。だからデモに行った。官邸にメールを送った。UNRWAに寄付をした。世界で多くの人が虐殺を止めようと行動している。しかし、一向に虐殺を止められない。子供の死体を見ない日がない。その合間に俳句を作る私はこの虐殺に否応なく加担する加害者であることを免れられない〉と記述。
- 「第21回「富士山を詠む」俳句賞」(静岡県富士宮市)が応募総数1,764句(一般の部)から、5名の審査員(甲斐遊糸・嶋田麻紀・須藤常央・滝浪 武・渡井恵子)により、入賞11句と入選を決定して2月1日発表。
・入選〈初富士や戦火止まざる星に生く 北悠休〉
・入選〈鴨足草富士山頂は雲の上 田辺みのる〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)4月号「四季吟詠」
・野中亮介選「佳作」〈寒卵われに残りし命の火 本田巖〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)4月号「投稿欄」
・稲畑廣太郎選「秀逸」〈凩の歌ひし野外音楽堂 松本美智子〉 - 新潟日報2月12日
・津川絵理子選〈猫抜けし毛布に猫の形かな 鈴木正芳〉=〈猫の形が残る毛布。猫はもちろん可愛いし、猫の形もまた愛おしい。猫の温もりも想像させる〉と選評。 - 読売新聞2月25日「読売俳壇」
・小澤實選〈深雪晴友は刺青消す決意 鈴木正芳〉 - 毎日新聞3月11日「毎日俳壇」
・片山由美子選〈春立つや幟はためく菓子司 谷村康志〉 - 朝日新聞3月17日「朝日俳壇」
・大串章選「一席」〈桜には見せぬ顔して梅見かな 渡邉隆〉=〈「桜には見せぬ顔」がおもしろい。花見と梅見は趣が異なる〉と選評。 - 朝日新聞3月17日「朝日俳壇」
・高山れおな選〈冴返る運といふ字に軍のゐて 渡邉隆〉 - 産経新聞3月14日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈出る杭は打たれる職場冬すみれ 谷村康志〉 - 朝日新聞3月24日「朝日俳壇」
・小林貴子選〈人生に時々悪路春寒し 鈴木正芳〉=〈悪路もあるが頑張って乗り越えよう〉と選評。 - 読売新聞3月25日「読売俳壇」
・高野ムツオ選〈斎場を駆け回る子や春の雪 鈴木正芳〉 - 産経新聞3月28日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈愛犬のための余生や青き踏む 谷村康志〉 - 日本経済新聞3月30日「俳壇」
・横澤放川選〈遠野火や野良着に黒き灰一片 谷村康志〉=〈同じ野良にあってこその発見。ただの灰一片がもつ説得力〉と選評。 - 朝日新聞3月31日「朝日俳壇」
・小林貴子選〈俳人の俳はグルーヴさくら咲く 渡邉隆〉=〈グルーヴとはいわゆる「ノリ」。俳句は定型詩ゆえ、ノリが大切〉と選評。 - 読売新聞4月1日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈永き日や推薦状に誤字三つ 谷村康志〉 - 毎日新聞4月1日「毎日俳壇」
・小川軽舟選〈袖に付く灯油の臭ひ冴返る 谷村康志〉 - 産経新聞4月4日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈舟を漕ぐ学僧ひとり御開帳 谷村康志〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)4月号の特集「働く人の俳句」に西川火尖が寄稿、「社会の内側の個人として」と題し、〈「働く」をテーマとした俳句の間口は非常に広いが、その中でも特に、社会に取り込まれること、社会から剥がれることに伴う痛みや不安、あるいは解放感、個人の輪郭を確かめるような句に惹かれる〉として、《会社やめたしやめたしやめたし落花飛花 松本てふこ》《あと二回転職をして蝌蚪になる 矢口晃》《鐵工葬をはり眞赤な鐵うてり 細谷源二》《夜勤者に引継ぐ冬の虹のこと 西川火尖》《鯛焼を割って私は君の母 神野紗季》の5句を取り上げ、それらのうち《あと二回》については〈この句を読んだ当時、私は新卒一年目の会社員で、あまりにも仕事に適応できない日々を送っていた。やっとの思いで入った会社だったが、一切通用せず、そんな状態で転職しても上手くいく想像なんてできるわけもなく、これからどうやって暮らしていけばいいか不安で仕方なかった。そんなときに、これから二回も転職を重ねる予定で最後には「蝌蚪になる」という半ば自棄になった自由が私に強烈に刺さった。ユーモラスな発想の中に、転職を重ねて行く中で手も足もでなくなるなす術のなさや、社会に対して無用のものになっていく悲哀が沁み込んでいる。実際、私もその後二回転職をし、しかしどうにか食いつないでいる〉と鑑賞。また、同企画に宮本佳世乃も寄稿、「生きることこそ」と題して、《桃食うて煙草を喫うて一人旅 星野立子》《父と歩く寒き街むかし父住みける 三谷昭》《手にゲーテそして春山ひた登る 平畑静塔》《扇風機蔵書を吹けり司書居らず 森田峠》《仕事仕事梅に咲かれてしまひけり 加藤かな文》の5句を挙げ、〈私が就いている看護職は、何らかのかたちで、人の人生にほんの少し携わる。臨床では、人はひとりずつ、個別なのだということを目の当たりにする。当然だが人は一人ひとり役割や物語を持っている。地域や家族の一員としての側面。賃金を得る、労働者としての側面。そして、誰にも触れられない、個人としての側面。その個別具体的な役割を生きることこそ、「仕事」なのではないかと思う。今回は、「働く」ということを広い概念として把握し、五句挙げてみた〉と前置きして、それぞれの句を鑑賞。《桃食うて》については〈家庭での役割からひと時を逃れ、気ままに過ごしている昭和初期の女性の姿を思った。誰の目も気にせずに瑞々しい果実を食べ、好きなときに美味しく喫煙する若い女性。しかし、心のどこかでは家庭のことが気にかかっているのではないだろうか。自由な一人旅の割と近くに、竹下しづの女の「短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎」の句中の母親像が、どうしてもちらついてしまう〉と、また《仕事仕事》については〈仕事のリフレインが効果的だ。そして今の私には気持ちがよく分かる句である。賃金労働者としての仕事、結社や同人誌の仕事など、毎日何らかの仕事に追われている感覚があるからだ。特に、一月の速さと春が迫る確かさが機能的だ〉と記述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)の「俳人の本棚」を執筆している田島健一が、4月号ではスラヴォイ・ジジェク著(鈴木晶訳)『イデオロギーの崇高な対象』を取り上げ、〈長年、俳句と関わりながら、いまだに「俳句とは何か」を問うことや、それに不用意に答えることへの後ろめたさを感じる。俳句をいくら書いても、まるで蜃気楼を追うように、「俳句とは何か」という問いに追いつくことができない。まるで、「アキレスと亀」のようだ。このような際限のないズレをいったいどう説明したらいいだろう。『イデオロギーの崇高な対象』は、スロヴェニアの哲学者・スラヴォイ・ジジェクの主著である。本書では我々が如何にしてイデオロギー的ネットワークに捕らえられ、そこから逃れることができないかということや、イデオロギーがいかにして言説として機能しているのかについて論じられる。言うまでもなく俳句においても、ジジェクの論じるイデオロギー概念から逃れることはできない。端的に言えば「俳句とは何か」を説明し難いのは、俳句そのものが「説明し難い何か」を含んでいるからだ。言い換えれば、「俳句とは○○である」と語ったとすれば、それは俳句を語り損ねている。なぜなら、俳句には、それを「俳句」たらしめる「語り得ない」何かがあるからだ。忘れてはならないこと――それは、俳句とは「俳句以上のもの」だということである〉と叙述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)の連載「現代俳句時評」を担当する岡田由季が、4月号では「句会のコミュニケーション」と題して、〈現在行われているような、無記名・互選の句会を始めたのは、伊藤松宇らの「椎の友社」だ。内藤鳴雪の『鳴雪自叙伝』に、当時の彼らが熱中して句会を行った様子が記されている。無記名・互選という句会の方法はゲーム性があり楽しいもので、子規らが徹夜するほどに熱中してしまった気持ちに共感する。そしてそのようなゲーム性だけではなく、もう少し複雑な、俳句自体の面白さと密接に関わる句会のコミュニケーションについて伝えてくれるのが、小林恭二著『俳句という遊び』である。実際の句会録を本にしたものだ。初版が一九九一年。俳句を始めたころ、先輩に薦められて筆者もこの本を読み、十分に楽しんだ。しかし一点、不思議に思ったことがある。それは、本の中に、このような互選句会は、今日ほぼ開かれていないと書かれていたのだ。しかしそれは筆者の印象と違った。初心者の頃参加していたのは、この本の形式に近い句会だった。所属結社の句会も主宰選のほか互選の評にも時間をかけていた。このような互選句会では、実際にどのようなコミュニケーションが行われるだろうか。その場に提出された無記名の句に仮託して、それぞれの俳句観が整理され、交換される。俳句作品の価値は本来数値化されるものではなく、高点句が良い句とも限らないが、形式上は点数を重んじる「ゲーム」として進行することで、結果的にリアルな意見が引き出される。そしてそれぞれの意見の違いを突き詰めすぎず、さらりと終わることができるのも、句会の良さだ。互選ではなく指導者中心の句会も、意義は深いと思う。特に技術や知識の伝達という面では有効で、初心者の人数が多かったり、参加者側に学ぶ意欲が強い場合は力を発揮するシステムだ。しかしコミュニケーションという観点から見ると、全ての参加者が同じ立場で能動的に参加する互選句会のシステムが、やはりユニークな働きを持つのだ。今の時代に合ったフラットなコミュニケーションが可能なツールといえる〉と論述。
- 結社誌「小熊座」(高野ムツオ主宰)2023年12月号の「鬼房の秀作を読む」に宮本佳世乃が結社からの依頼を受けて寄稿。「ゆるやかに死ぬ海の鳥雪霙 鬼房」について、〈この一句、とてもゆったりとした感じを受ける。もちろん中七で切れてはいるが、比較的軽い切れだ。「ゆるやかに死ぬ」というのは、忙しくなくという意味や、自然や時間に任せるといった意味だろう。さらに「海の鳥」の「の」がやわらか。「海鳥」という熟語にしなかった効果がある。座五に季語があることも含めてゆったりとした韻律が余韻となり、読者がこの句と長い時間を過ごすことができる〉と鑑賞。
- 毎日新聞4月9日のコラム「季語刻々」(坪内稔典氏)が《牡丹の芽つまんでたべてしまひたし 折島光江》を取り上げ、〈芽の目立つ植物がある。柳、バラ、アシ、そしてボタンなど。どれも食べてみたいと思わせるが、実際に食べる芽もある。てんぷらにするタラの芽などがその代表だ。バラやボタンの芽もうまそうな気がする。と、こんなことを書くと、これらの花の愛好家に叱られる?〉と鑑賞。句は句集『助手席の犬』より。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)4月号の特集「働く人の俳句」に寄稿した相子智恵氏の、「新たな言葉を詠む」と題した論考は、〈私と同じ氷河期世代俳人の労働の句を読んでみたい。中でも、労働についての新しい言葉や概念を詠み込んだ句を中心に鑑賞する。新しい言葉(名前)の発明は、現代社会の実態をあぶり出す〉というもので、そこで取り上げた5句の一つが《非正規は非正規父となる冬も 西川火尖》。この句について〈私自身、一九九八年に社会に出た。派遣法が改正されて二年、不景気の中、多くの仕事が派遣に切り替わり、長銀二行が破綻した年である。当時から身近にあった派遣や契約社員など、非正規社員でのスタートがこれほど人生に響いてくるとは、若い時には思いもよらなかった。「父となる冬も」の重さが氷河期世代のリアルだ。なお「非正規雇用」の言葉は二〇〇八年の『広辞苑』から掲載〉と鑑賞。
- 結社誌「太陽」(吉原文音主宰)4月号の「詩林逍遥」(柴田南海子氏)が《布吊って春待つ風の入る部屋 近恵》を取り上げ、〈風にそよぐ明るい色の布(カーテンかもしれない)を部屋に、春待つ心を募らせている作者。布は四温のそよ風には軽やかにそよぎ、三寒の風には窓を閉し黙すのみ。一枚の布が、春待つ心を雄弁に歌っている新感覚のお作と拝見〉と鑑賞。句は「俳壇」1月号より。
- 結社誌「浮野」(落合水尾主宰)4月号の「ひびく句・ひらく句」(龍野龍氏)が《春の波眠い眠いと寄つてくる 宮本佳世乃》を取り上げ、〈あまりにも有名な与謝蕪村の句、「春の海ひねもすのたりのたりかな」の本歌取りと言えようか。一日中ゆるやかに、のんびりと動いている春の海、その蕪村の海の「波」に焦点をあて、春の波は眠い眠いと呟きながら寄せては返しているというのである。二百年以上も前から変わることなく〉と鑑賞。句は「炎環」2022年5月号より。