2024年5月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の「作品16句」に石寒太主宰が「一期一会」と題して、〈八十歳の仮想空間春の雲〉〈(大峯あきら)ヒュヒテかく読めと吉野の山ざくら〉〈(深見けん二)最晩年施設のさくら句会かな〉〈(稲畑汀子)虚子記念館よりプレリュードさくら径〉〈(黒田杏子)花廻りひと生ひと代のをんなかな〉(( )内は前書き)など16句を発表しました。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号の「俳句界NOW」に石寒太主宰が登場しました。グラビアには埼玉県新座市平林寺での写真、本文にはエッセイと自選30句が掲載されています。「四十周年の「炎環」を!」と題したエッセイでは第一句集『あるき神』復刊のことに触れ、〈新年会には、(筑紫)磐井氏と栞の二氏(西川火尖、市ノ瀬遙)による『あるき神』についての鼎談(司会・田島健一)を行った。自分でも知らなかった(忘れていた?)思い出が蘇った。磐井氏が正木ゆう子氏の家で彼女の兄の浩一氏らと呑んだ古い写真などを持参してくれて、スライドで大写しにした。痛飲した若いころのやりとりや思い出などが再現されて、なつかしいやらはずかしいやらで、皆に囃された一時間。でも、楽しかった〉と綴っています。
- 広渡敬雄著『全国・俳枕の旅62選』(東京四季出版・2024年3月31日発行)が、「隠岐と加藤楸邨」の章に《胴震ひして隠岐牛の雪払ふ 石寒太》を採録しました。
- 小川軽舟著『名句水先案内』(角川文化振興財団・2024年4月30日発行)が、《少年の雨の匂ひやかぶと虫 石寒太》を紹介して鑑賞しています。初出は「俳句」2020年7月号(鑑賞の内容はほむら通信2020年7月参照)。
- 結社誌「鷗座」(松田ひろむ代表)2月号の「みんなで選ぶ2023年の秀句」において、椎谷もも氏が5句中の1句に《春の風らりるれらららランチかな 石寒太》を選び、〈何と楽しい句かしら。誰とのランチかしらとかお喋りや浮き立つ心が見えます。らららランチがステキ〉と鑑賞します。句は「炎環」2023年4月号初出、『角川俳句年鑑2024年版』の「諸家自選五句」に掲載。
- 結社誌「風樹」(豊長みのる主宰)2023年11月号の「現代俳句月評」(苅田きく絵氏)が《カンパネルラ空の孔より流れ星 石寒太》を取り上げ、〈夜空に瞬く無数の星々は、あたかも宇宙にある無数の孔から漏れる光なのかも知れない。〈空の孔〉と捉えられた作者の発想と想像力に、そのまま銀河鉄道の物語の世界へ引き込まれていく。流れ星はジョバンニが出会った魂の数ともいえる。〈カンパネルラ〉は、イタリア語で鐘という意味がある。次々と現れては消え去っていく〈流れ星〉。カンパネルラは魂が震わす鐘の音かも〉と鑑賞。句は「俳句界」2023年9月号より。
炎環の炎
- 同人誌「つぐみ」(つはこ江津編集・発行)4月号の「俳句交流」に近恵が「はらわたに」と題して、〈影の濃いとき芽柳に風の来る〉〈黄沙降る昼を正しい押しボタン〉〈行く春の腸にわたしの日和見菌〉など7句を寄稿して発表。
- 「NHK俳句」3月10日放送
・題「蓬」山田佳乃選「特選」〈子と吾のまあるき影や蓬摘む 鈴木正芳〉=〈かがみこんで蓬摘みをしている子どもと自分。親だと思うんですけど通常だったら影って手足があるけれども、しゃがみこむとまあるいだけの影が地面に広がる。それがふたあつあって、その日差しの中に親と子の影がふたつあって、そのなごやかな雰囲気とか親子の楽しげな様子というのも見えてきます〉と選評。 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)5月号「四季吟詠」
・上田日差子選「佳作」〈囀りをよろこんでゐる鼓膜かな 阪上政和〉
・秋尾敏選「佳作」〈仕舞湯に肩まで浸かり去年今年 森山洋之助〉 - 毎日新聞4月16日「毎日俳壇」
・西村和子選〈春の灯やビストロ並ぶ運河べり 谷村康志〉 - 産経新聞4月25日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈亡霊のやうに帰宅の落第子 谷村康志〉 - 日本経済新聞5月4日「俳壇」
・神野紗希選〈とんかつや薩摩訛りの新社員 谷村康志〉=〈「とんかつや」の書き出しが楽しい。薩摩豚かな〉と選評。 - 総合誌「俳句界」(文學の森)の連載「俳人の本棚」を今年1年担当している田島健一が、5月号ではエマニュエル・レヴィナス著(合田正人訳)『存在の彼方へ』を取り上げ、まずその著作の本文から引用して、「他人に対する私の責任は「~のために身代わりになる」という関係であり、意味の意味することにほかならず、意味の意味することは、〈語られたこと〉のうちで現出するよりも前に、〈語ること〉のうちで意味する。他人のために身代わりになる一者とは、言い換えるなら、意味の意味することそのものなのだ!」を掲出。そのうえで、〈本書で、「身代わり」という章に書かれた冒頭の一節を初めて読んだとき、鳥肌が立った。どうやらそれは俳句を書いたり読んだりするときに感じる、あの特別な「善い感じ」と繋がっているような気がする。俳句は言葉で書かれる。そこには辞書的な意味があって、その意味の繋がりによって、書かれた句には作者の書こうとしたことが主題化される。けれども、俳句に触れたときのあの「善い感じ」とは、そのような主題化された言葉の意味とはまるで無関係である。俳句を書くことは、何か/誰かの「身代わり」になることなのだ〉と叙述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)の連載「現代俳句時評」を1月号より半年間担当している岡田由季が、5月号では「関西俳句雑感」というテーマで執筆。その中で、〈筆者は二十年前に関東から関西に移住した。そしてすぐに、関西俳句界の自由な雰囲気や熱量を感じたかというと、実はそうではなかった。まず、出席する句会がなかなか見つからずに困った。これは、今振り返ってみると個人的な事情に関係していた。関東で既に結社に入っており、その結社の句会が関西には無かったので、結社は継続のまま、句会のみ大阪で探せばよいと考えたのだ。東京にいたときは、所属にこだわらず誰でも参加できるような句会がどこにでもあり、ひとつの句会に参加してれば別の句会からも声がかかり、つまり句会探しに苦労することなど考えたことが無かった。大阪も大きな都市なのだから、同じような感じであろうと簡単に考えていた。しかし実際にはそのような句会はなかなか無く、結社を超えた会があっても一時的であったり、メンバーを限定していたり、内容が研究会的であったりと、単純に実作を続けるための、居場所となるような句会を見つけるのには苦労した。関西で結社か、それに類するようなグループに新たに入ることを検討すれば、そんな困難は無かったのだろう。関西で、結社等に入らずに俳句活動を続けることは、東京よりもハードルが高いように感じる。一方東京は個人ベースで参加できる句会等、交流の機会は多いが、互いの領域に立ち入らないあっさりとしすぎたところがあり、どちらも一長一短だ〉と述懐。
- 広渡敬雄著『全国・俳枕の旅62選』(東京四季出版・2024年3月31日発行)が、「隅田川と富田木歩」の章に《風に鳴る夜食の袋隅田川 柏柳明子》、「近江と森澄夫」の章に《緑さす湖岸ほどよく遠くあり 岡田由季》、「鎌倉と星野立子」の章に《鎌倉や手鞠をつけば火の色に 齋藤朝比古》、「龍安寺と高野素十」の章に《かまいたち京都にまぼろしを殖やす 田島健一》、「山中湖と深見けん二」の章に《富士山にゆふがたのあり冬をはる 宮本佳世乃》をそれぞれ採録。
- 小川軽舟著『名句水先案内』(角川文化振興財団・2024年4月30日発行)が、「俳句」の連載(2020年4月号~2022年3月号)を再編集、加筆修正して出版され、《ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一》《裂ける音すこし混じりて西瓜切る 齋藤朝比古》《ニュータウンの短き坂よ木の実降る 宮本佳世乃》《一人づつタイムカードを押して霧 柏柳明子》《鰡飛んで人それぞれに笑ふつぼ 岡田由季》《非正規は非正規父となる冬も 西川火尖》を紹介して、それぞれについて鑑賞。《ただならぬ》から《一人づつ》の4句に対する鑑賞内容は雑誌掲載のままなので、その順に、ほむら通信の2021年7月、2021年8月、2020年10月、2021年10月を参照のこと。《鰡飛んで》と《非正規は》の2句は雑誌未掲載で本書に加筆されたもの。《鰡飛んで人それぞれに笑ふつぼ》については〈句集『中くらゐの町』(二〇二三年)所収。岡田由季(一九六六年~)は「炎環」同人、二〇二一年に角川俳句賞を受賞した。こんなことも俳句になるのかと驚かされることの多い句集である。着想と切り口次第で俳句の材料はまだいくらでもあると励まされる。世の中には同じ冗談に笑う人と笑わない人がいる。人によって笑うつぼが微妙に違うのだ。なぜ笑うのか、なぜ笑わないのか、いちいち拘っていては人間関係がぎくしゃくする。適当にやり過ごして私たちは社会の円滑なコミュニケーションを成り立たせているのだ。水面から唐突に飛び出す鰡を取り合わせたのが心憎い〉と鑑賞。《非正規は非正規父となる冬も》については〈句集『サーチライト』(二〇二一年)所収。西川火尖(一九八四年~)は石寒太に師事、その作品には作者の生きる現実への異議をはらんで社会派の手触りがある。就職氷河期に社会に出て正社員になれないままの者の多い世代の声が聞こえる句である。子を持つ父になっても待遇は変わらない。 それでも低年収が結婚をためらわせて生涯未婚率を引き上げていると言われるこの国にあって、ともかく父となり得たことを励みに冬に立ち向かおうとする覚悟が秘められている〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)5月号の「俳句へのまなざし」(大西朋氏)が《学び舎の巣箱の穴のやすりがけ 前田拓》を取り上げ、〈学び舎という少し懐かしさを覚える呼び方から、古い校舎が目の前に現れ、長年同じ場所に置かれた巣箱が見えてくる。その巣箱の穴の周りが風雨に晒され、ささくれ立ってきたのだろう。丁寧にやすりがけをして、新たな鳥の来訪を待つ。これまでどれだけの雛が巣立ったのであろうか。この学校を巣立って行った生徒たちの姿とも重なる〉と鑑賞。句は同誌3月号より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の「合評鼎談」(辻村麻乃・横澤放川・抜井諒一)の中で、同誌3月号掲載の西川火尖作「斑文」について、〈辻村「《風花や佳き体臭になる食事》 〈佳き〉匂いになるものはカレーくらいしか思いつかないですが、風に運ばれてくる風花によって、〈佳き〉匂いと感じられたのか」、抜井「想像力を働かせてくれる一句ですね。ただ、〈佳き体臭になる食事〉と、〈風花〉が関係を結べているか。ともすれば季語が薄れてしまった気もします」、辻村「《パスタ一握り正確冬旱》 パスタの一人前は100グラム。〈正確〉に一握りなどと計って作る日本人ですが、世界には今日の食糧がままならない人々もたくさんいる。〈冬旱〉であっても、そんな日常を当たり前のように過ごす日本人の豊かさに、何かを込めた一句でしょうか。作品と同時に掲載されている「白い凧」というエッセーでも、イスラエルの空爆で亡くなったパレスチナの詩人を悼み、「小さな小さな追悼と抵抗を、続けていこうと思う」と書かれています。政治的なことを全面に出してはいませんが、そんな読み取りができそうに思いました」〉と合評。
- 結社誌「秋麗」(藤田直子主宰)4月号の「現代俳句を詠む」(井上青軸氏)が《職決まるまでの仮寓よ膝毛布 谷村康志》を取り上げ、〈十年あまり前の話だが、一緒に仕事をした派遣社員に「私たち、仕事が見つかってまず考えることって何か知ってます?」と問われたことがある。「身の回りのものをそろえるとか、趣味とか結婚とか…」と答えると「次の仕事探しよ」と一言。コロナ禍が明け、バブル超えの株高、歴史的高額回答の春闘、と世は浮かれるが、それは正社員の話。非正規労働者にとっては、仕事の確保が一番の関心事なのだ。「仮寓よ」と嘯くのは負け惜しみか自分への叱咤激励か。「膝毛布」にリアリティーがある〉と鑑賞。句は「炎環」1月号より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号付録『季寄せを兼ねた俳句手帖二〇二四〈夏〉』が《網戸から雨の匂いのする夜明 近恵》《翡翠の声と色とが別々に 岡田由季》を採録。