2024年6月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 結社誌「秋麗」(藤田直子主宰)6月号の「現代俳句を読む」(井上青軸氏)が石寒太主宰の4句《能登の地震七十二時間生還す》《能登地震一週間死者二百人》《屋根越ゆる黒大津波大旦》《避難所に生れし嬰子の三日かな》を掲出し、〈元日に発生した能登半島地震はお屠蘇気分の日本を震撼させた。震災後発行された多くの俳誌に震災詠や見舞いの言葉が載った。掲句は「炎環」の主宰詠八句のうちの四句である。生死を分けるという七十二時間を越えて生還した人がいる一方、わずか一週間で二百人もの死者が確認された。そして、襲来後しばらくして出てきた津波の映像。主宰詠は、地震以前に出来ていて、地震を受けて急遽差し替えたのではないかと想像する。即吟的な飾らぬ言葉で事実を詠み込んだ冒頭三句には強い力がある。そして末尾に置いた嬰子の句。新しい命の誕生に震災を乗り越えてゆく希望を託したのだと思った〉と鑑賞しています。句は「炎環」3月号より。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「クローズアップ」に、山岸由佳が「ムスカリの坂」と題して、〈腕に傘かけムスカリの下り坂〉〈火の匂ひの桜吹雪を潜りたる〉〈躑躅咲く窓に凭れてゐる眠り〉など7句と短文を発表。
- 「第八回円錐新鋭作品賞」が応募総数72作品(1作品20句)から小林恭二・山田耕司・今泉康弘各氏の推薦により、荒野賞・白桃賞・白泉賞を決定して、同人誌「円錐」(山田耕司編集、4月30日発行)に発表。
・小林恭二推薦「三席」内野義悠作「薬効」20句=作中の《舌禍はや忘れ車窓をすべる雪》について小林氏は〈「舌禍問題」というと政治家だと相場が決ってますが、どっこい我々だって四六時中舌禍をしでかしています。酒を飲んでの舌禍は定番中の定番ですが、何かの拍子に出たことばで人に深く恨まれたり、いわずもがなのことばを口にして訂正に四苦八苦するのは日常茶飯事です。その舌禍をはやくも忘れ車窓をすべる雪を見ているのだという。「はや忘れ」とありますが、完全に忘れたわけではなく、車窓をすべる雪の動きの面白さに気をとられ、一瞬忘れたのでしょう。「何事もたいへんですなあ、ご同輩」と思わず声をかけたくなるような、そんな句でした〉と、また《瀬音まづ朝寝の身ぬち明るくす》については〈舌禍の句が人生の実感を苦く述べた句だとすれば、こちらは作者の技術の確かさを感じさせてくれる句です。こうした感慨句を隙なく作れるのは、相当な手練れです〉と選評。 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)6月号「四季吟詠」
・山田貴世選「特選」〈下萌や地球を借りて皆で棲む 山本うらら〉=〈地球は水と空気に恵まれ、多くの生命体が存在しているが、化石燃料の消費で平均気温が上昇。美しい地球に生かされている我々は、この地球を大切に守り抜いていかなければいけないのだ。借りて棲んでいるのだから。人類への警鐘句ともいえる〉と選評。 - 新潟日報4月22日
・中原道夫選「一席」〈言の葉に付きし手垢や春愁ひ 鈴木正芳〉=〈自分で見つけたと思って使い始めた言葉が既に沢山の前例のある句だったりして愕然とする。これはどうしようもないこと。言葉に専売制などないのだが、垢の付いた言葉がいかに多いか〉と選評。 - 新潟日報4月29日
・津川絵理子選〈永日や子犬の胸に聴診器 鈴木正芳〉=〈子犬の胸に当てると、聴診器がかなり大きく見えることだろう。子犬の可愛い様子が春らしい〉と選評。 - 産経新聞5月16日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈事なかれ主義の職場や目借時 谷村康志〉 - 産経新聞5月23日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈落第や寮費値上げの通告書 谷村康志〉 - 産経新聞5月30日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈メーデーの朝の鏡の無精髭 谷村康志〉 - 毎日新聞6月3日「毎日俳壇」
・西村和子選〈蝶々やこの畦道が県境 谷村康志〉 - 日本経済新聞6月8日「俳壇」
・神野紗希選〈山鳩や枕を濡らす春の夢 谷村康志〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)の連載「俳人の本棚」を執筆している田島健一が、6月号では今栄蔵著『芭蕉年譜大成』を取り上げ、〈本書は芭蕉の生きた日々を、作品、俳論、書簡によって立体的に浮かび上がらせる。それは、十八世紀後半の芭蕉復興運動以降に偶像化された「俳聖」芭蕉ではなく、戦後の民主主義とヒューマニズムの時代に熱心に研究された二十世紀の気高い芭蕉でもない。荒々しい戦国時代が過ぎ去り、近世社会が確立する十七世紀後半を生きた「野生の芭蕉」である〉と紹介。これに添えて〈ちなみに、著者の今栄蔵氏は中央大学の文学部教授であったが、一九九二年に退職された。奇しくもその年は、筆者が同大学に入学した年でもある。すでに筆者は俳句を始めていたが、その頃は「松尾芭蕉が苦手」な時代だったため、そのご尊顔を拝する機会はなかった。思い返せば、実に残念なことである〉と述懐。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)の「現代俳句時評」を1月号から担当してきた岡田由季。その最終回である6月号は、題して「俳句の内と外」。これまでの連載においても、現在の「俳句」の「内」と「外」に生起している諸現象を取り上げてきたが、最終回では「俳句」の「外」に関して「川柳」に触れ、〈昨年十二月に出版された『宇宙人のためのせんりゅう入門』(左右社)が話題を呼んでいる。著者の暮田真名は現代川柳界注目の若手だ。ここでいう「現代川柳」とは、サラリーマン川柳やシルバー川柳のようにユーモアをもって世相を切りとるものとは違う、文芸としての川柳だ。そして川柳には「番傘」という伝統結社があるが、それともまた違い、より実験的な内容の、狭義の「現代川柳」である。本書に「ないものづくしの川柳界」という章がある。「現代川柳」は一般にあまり認知されておらず、俳句のような新人賞もなく、俳句甲子園のようなイベントもない。新聞などの川柳投稿欄も、求められている傾向が違う。続けていくための環境が整っていないともいえるが、暮田にとってはそこが自由を感じる良い点だったという。発信力のある若手が出てきたことで、現代川柳の変化はさらに加速してゆくのだろうか。筆者には予測がつかないが、この現代川柳というジャンルが、現在、熱気を帯びていることは感じる〉と評価。そしてこのあと、話は「俳句」の「内」に転じるが、それに先立ち『宇宙人のためのせんりゅう入門』から次の記述を引用――「俳句は「教える/教えられる」的なパフォーマンスととにかく相性がいいし、「上達」することを善としている気がする。最初は「俳句らしい俳句」が作れなかった人が、師匠に「俳句らしさ」とは何かを教えられて、一人で「俳句らしい俳句」を作れるようになることが「上達」だからね」。これを踏まえ、岡田は「俳句」の「内」の問題点として『プレバト!!』と「俳句甲子園」に言及。『プレバト!!』については〈バラエティ番組の影響力は大きい。同じTVでも従来の教育系の俳句番組では、元々俳句に興味の無かった人々を振り向かせるまでは至らなかった。俳句界の外へ訴求する強さがあるのだ。しかしヒエラルキーとか、上下関係など、文芸としてはあまり好ましくない面も強調されて伝わってしまっている危惧はある〉と指摘。「俳句甲子園」については〈俳句界全体としては高齢化している一方、若手の活躍も目立ってきている。これはやはり、俳句甲子園の影響が大きいだろう〉。しかし〈俳句甲子園は、若手俳人を育成するためにあるわけでない。教育のためのものであり、また地域の文化振興の役割も担っている。教育の場であるから様々な制限もあるし、時間も限られている。そもそもの目的が俳句そのものではなく、俳句を通じて様々なことを学ぶことだ。そのために作られてきた俳句甲子園という場は、よくできたシステムではあるが、俳人の思う俳句とは違う部分がある。競技として勝ち負けをジャッジすることもそうだし、ディベートについては自句自解を好まない俳人の感覚とずれており、短い制限時間の中で「良さ」が説明できる俳句こそが良い俳句であるとみなされてしまわないか、などと心配にもなる〉。とはいえ〈若い彼らは、俳句甲子園と俳句自体の違いなど当然に認識し、より広い視野を持ち俳句に関わっているように見える。気をつけるべきは大人たちの方ではないだろうか。本家の野球の甲子園は、大人たちの勝手な期待や思惑をさんざん押し付けられてきた。今後、俳句甲子園と俳壇はさらに距離が近づくかもしれないが、俳人側の勝手な思いを投影せず、冷静に関わっていく必要がある〉と指摘。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)6月号の「俳句へのまなざし」(大西朋氏)が《亡国の午後半日は凧を揚げ 西川火尖》を取り上げ、〈作品に添えられたエッセイから作者は「イスラエル軍によるパレスチナ人虐殺」を心から憂慮し、自分にできる行動を起こしているようだが、反面「半日は凧を揚げ」て生活している。ジレンマが作者を苛むが、表現することはできる。誰もが亡国の民となる可能性があることを忘れてはならない〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の「全国の秀句コレクション」が、多くの受贈誌の中から同誌編集部の選んだ14句(1誌1句)の一つとして、「炎環」4月号より《メモ書きのですます調や春隣 大和田響子》を採録。