2024年12月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の炎
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)12月号の「現代俳句の窓」に上田信隆(2024年7月入会)が「字足らず」と題して、〈丹頂や一歩一歩の役者めき〉〈悴んで字足らずの句を作るかな〉など6句を発表。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)12月号の「第12回俳句四季新人賞最終候補者競詠」(同賞に応募した280篇の中で最終候補に残った40篇の内、本賞・奨励賞を受賞した3名を除く37名の新作5句)に、前田拓が「音」と題して、〈音よりも煙が先に運動会〉〈着ぶくれて放送室に入りにけり〉など5句を発表。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)12月号「四季吟詠」
・松尾隆信選「特選」〈原爆忌古書店にある「はだしのゲン」 森山洋之助〉=〈古書店へぶらりと入ったのであろう。いつもは、俳書の方へと視線が行くが、今日は、『はだしのゲン』が目に飛び込んで来たのだ。今日は原爆忌だと改めて再確認をした、思いの伝わってくる句である〉と選評。
・山本比呂也選「秀逸」〈菊ほめて酒呑むかいと言われけり 本田巖〉
・高橋将夫選「佳作」〈冬すみれ人に追風向い風 本田巖〉
・山崎聰選「佳作」〈不機嫌の顔となりたる初笑 本田巖〉
・古賀雪江選「佳作」〈コピー機のひかりにおよぐ水中花 本田巖〉
・長浜勤選「佳作」〈実ざくろのかつと割れたる明るさよ 本田巖〉
・山田貴世選「佳作」〈女正月をみなどちなる長電話 本田巖〉
・髙橋千草選「佳作」〈こんもりと百年がある若葉風 本田巖〉 - 新潟日報10月7日
・中原道夫選〈生身魂キャップで飲みしウイスキー 鈴木正芳〉 - 新潟日報10月21日「第151回日報俳壇賞」
・津川恵理子選「佳作」〈ハンカチ軽しうれし涙を拭けばなほ 鈴木正芳〉=〈「軽し」がさり気ないが、説得力がある〉と選評。 - 毎日新聞11月12日「毎日俳壇」
・井上康明選〈火恋し眠れぬ夜のポー詩集 谷村康志〉=〈冷え冷えとする秋夜、エドガー・アラン・ポーをひもとく。詩集は生と死の世界を語る〉と選評。 - 毎日新聞11月18日「毎日俳壇」
・片山由美子選「一席」〈この家もいづれ人手に障子貼る 谷村康志〉=〈そう遠くない将来、家を手放すことになるだろうと思いつつ、やはり、冬が近づけば障子を貼り替えて気持ち良く住みたい〉と選評。 - 産経新聞11月21日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈定年のなき主夫業や薬掘り 谷村康志〉 - 日本経済新聞11月23日「俳壇」
・横澤放川選〈大病を経て斑鳩の柿日和 谷村康志〉 - 読売新聞11月25日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈松手入れときをり弟子のフランス語 谷村康志〉=〈明快で面白い。松の木の手入れは難しい仕事だが、弟子がフランス人で時折師匠に質問しながらやっている。こういう国際化は本物だろう。剪定は日本文化の優れた一つ〉と選評。 - 毎日新聞12月2日「毎日俳壇」
・西村和子選〈弔電を打てばはらりと木の葉髪 谷村康志〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)の連載「俳人の本棚」をこの一年担当した田島健一が、12月号の最終回で取り上げたのは司馬遼太郎著『二十一世紀に生きる君たちへ』で、まず冒頭に同書からの引用として、「もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして“たのもしい君たち“になっていくのである」を掲出。そのうえで、〈本書は作家の司馬遼太郎が小学六年生の子どもたちに向けて書いた文章である。私自身は充分に大人になってから司馬遼太郎の作品と出会った。司馬の書く坂本龍馬や斎藤道三などにあこがれ、自分もまた今という時代で価値のある人生を生きようと思っていた。だが歳をとるにしたがい、自分という人間のちいささ、愚かさを思い知らされ、その限界を思い定めるようになった。だが不思議なことに、いま改めてこの司馬の書き遺した文章を読んでみると、かつての少年時代に戻ったかのように、心にふたたび勇気が湧いてきて、まるで自分が誇りある、ひとかどの人物であるかのように感じられてくる。小学六年生の子どもたちに向けて書かれた文章に、齢五十になるからっぽの大人が励まされているのだから驚かされる。言うまでもなく、司馬の文章は、私自身のなかには存在していないことばだ。常に私自身の外部にあることばだ。であるのに、それはまるで自分のなかにもともとあって、最初から私自身を構成する要素のひとつだったかのように、生きることに、少なからず勇気を与えてくれる。至って個人的な感想になるが、俳句もまた、そのような、“外のことば”だと、最近つくづく感じることがある。それは、自分自身の奥底から湧き出てくるようなものではなく、自分の外の空間にぷかぷかと浮遊している――そんなことばをいくつかつかまえて、俳句を書いている。まるでそれが自分のなかにもともと存在していたかのようなフリをして〉と論述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「合評鼎談」(横澤放川・辻村麻乃・抜井諒一)の中で、同誌10月号掲載の三輪初子作「物落つる音」について、〈辻村「《変はる世の心どうする草紅葉》 本当に美しい〈草紅葉〉。移り変わる世の流れに対し、「心どうする」と問いかけているような詠み方。でも、この世の流れに任せてみるか、と考えている雰囲気も感じました。 《ひとつの月ひとりのわれと見つめあふ》 〈月〉は〈ひとつ〉、自分も〈ひとり〉。当たり前ですが、下五の〈見つめあふ〉が効いている。月と向かい合いながら、自分と向き合っている」、抜井「月は当然ひとつですが、月を見ながらその月からも〈ひとりのわれ〉が見つめられている。視点の面白さ。 《母待てる花野へ道連れいらぬ旅》 母が待っている花野なので、
現世 の花野ではない。母の存在が感じられる花野に、自分一人で帰って行く。どちらも、自分を見つめる目の面白さを感じた二句です」〉と合評。 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)の「俳句へのまなざし」(大西朋氏)が〈ちさく突く二百十日の水ぶくれ このはる紗耶〉を取り上げ、〈火傷の水ぶくれ、靴擦れの水ぶくれ。水ぶくれにも様々あるが、ぷくりと膨らんだものをそのままにしておくと、何かに触れるたびに痛いので針で突いてしまう。確かに言われてみれば怖々小さく突くものだ。二百十日の頃の天候を恐れる気持ちと、水ぶくれの痛みはどこか薄く繋がっているようでもある〉と鑑賞。句は同誌10月号より。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号の特集「たくさんのいのり~俳句に祈りはどう詠まれてきたのか」において「「祈り」が込められていると感じる句20句」(若林哲哉氏)が20句のうちの1句に、《春の雪遺影の胸にペン二本 岡田由季》を選出。句は句集『中くらゐの町』より。