2025年1月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)1月号の「新年詠10句+エッセイ」に石寒太主宰が、「大旦」と題して〈まつ赤なる蛇穴に入り裏の山〉〈
戦 つづく影影影よ白芒〉〈一の橋しぐれ二の橋霽 れにけり〉〈雪女
〉など10句と、「小さな変化」をテーマに〈若いつもりでいたが、あっという間に傘寿を越えてしまった。これからは少しずつ変わってくるだろうか。自分でもそれを期待しつつ、作句していきたいと思う。顧みれば、これまで自分でも予期しないこともいろいろあったが、俳句の多くの仲間たちに助けられて、乗り切ることが出来た〉と綴ったエッセイを発表しました。抱 くかたちに寝落ちけり - 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号の「ピックアップ注目の句集」で取り上げている藤原暢子句集『息の』の「一句鑑賞」を石寒太主宰が寄稿、「春雷や人の詰まりし箱にゐて」の一句を選び〈『箱族の街』という小説がある。私の友人が書いた。現代のサラリーマンはマンションとか団地といった箱に住み、電車に乗って会社という箱に通っては、一日の仕事をしてまた自分の箱の家に帰る。現代の大方の生活を描いた小説である。この句の作者は、そんな現代に生きる「箱族」を描いたのだと思う。掲句の「人の詰まりし箱」とは、大都会の高層ビル。その中のひとりが、ビルの何階かでたまたま耳にした「春雷」。その「春雷」と、ビルに「詰ま」る人を配合して詠み込んでいる。が、この句には表にみえない箱族たちの悲しさと淋しさが、奥底に隠れている。人間の真の姿が写し出され、さまざまな人間群像が伝わってくるのだ。俳句は世界最短の詩型である。だから表面に現れていることばは、ほんの一部。その裏に込められた心情が、読む人に訴えかけるような句こそいい句。想像力がひろがる作品こそ本物の句であると思う。この句はそんなイメージを豊かにしてくれる、現代の人間像を切りとった一句である〉と述べています。
- 『俳句年鑑2025年版』(角川文化振興財団)カラー口絵の「2024年一〇〇句選」(小林貴子選)の一句に《八十歳の仮想空間春の雲 石寒太》が選ばれています。
- 『俳句年鑑2025年版』(角川文化振興財団)の「年代別二〇二四年の収穫」における[80代前半]の項(天野小石氏執筆)が46名の俳人を挙げた中で石寒太主宰については、《我に似し土偶の貌や初明かり(「炎環」2月号)》《珠洲の浜さくらの瘤のさくらの芽(「炎環」4月号)》《最期かも炎昼の句碑なでてをり(「炎環」9月号)》の3句を取り上げ、〈自己を客観視する。被災者を思いやる。そして老いを受け止める。年齢を重ね、俳句を作り続けてきて詠める境地〉と鑑賞しています。
炎環の炎
- 吉川久子・浅井理恵子・吉川淑子が、合同句集『霧笛』を百年書房より12月10日に刊行。序文を石寒太主宰が「銀笛に乗って、霧笛が流れてくる」と題して認め、〈吉川久子さんのフルートは、いつ聞いてもこころを癒やされる。吉川さんは、いま世界を舞台にいろいろな曲を演奏されている。世界の名曲から日本の民謡や子守歌、クラシックから日本のさまざまな大衆曲まで、そのレパートリーは極めて広い。そんな彼女に、「俳句をつくってみたら…」と勧めた。彼女ははじめはもっと上手く、一般的な句をつくりたい、そう思っていたようであるが、「もっと自分の足元をみつめ、誰でも出来る句ではなく、フルートや音の俳句に焦点を絞り込んだ方がいい」と指摘した。するとたちまち音や演奏などを中心に、句がより鮮明に浮き立つようになった。やがて、私のNHK横浜教室にも加わるようになり、妹(浅井理恵子)さんも仲間になった。そんな二〇二一年のある日、突然NHKのこの教室が閉鎖になった。それは主催者側の都合で、すべての講座の中止であった。途方に暮れた仲間たちを率いて、久子さんは「霧笛句会」を立ち上げてくれた。そして、母上(吉川淑子さん)も、会員のひとりとして加わりいっしょに俳句仲間になった。今度、三人の合同句集を出す。それぞれ三人三様ではあるが、それらを俳句がすべてつないでいる〉と紹介。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号「四季吟詠」
・鳥居真里子選「佳作」〈茹で卵の薄皮を剝く秋思かな 森山洋之助〉
・渡辺誠一郎選「佳作」〈八月の光八月の闇熾す 松橋晴〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号「投稿欄」
・今瀬剛一選「特選」〈ワイングラス幾度も磨く野分の夜 小野久雄〉=〈作者は不安なのである。雨風は一向にやみそうにない。こうした時に人間が出来るのは、ひたすら何かに集中することだ。「ワイングラス」を磨く、この一語が作品に洗練された透明感を与えている。「野分」という季語が新鮮に響く〉と選評。
・古賀雪江選「秀逸」〈秋霖や目をとぢて待つ検査台 山内奈保美〉 - 読売新聞11月4日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈芋煮会老人会に恋路あり 鈴木正芳〉 - 新潟日報11月18日
・津川絵理子選〈秋刀魚食ふ猫背の吾を正しつつ 鈴木正芳〉=〈郷愁を誘ふ魚だからか、つい猫背に。時々背を正しながら、という自画像が面白い〉と選評。
・中原道夫選〈花芒名画にありし名助演 鈴木正芳〉 - 新潟日報11月25日
・津川絵理子選〈泣くために借りる映画や柘榴の実 鈴木正芳〉 - 新潟日報12月2日
・津川絵理子選〈霧深し二十歳の吾と擦れ違ふ 鈴木正芳〉=〈ボルヘスの短編「他者」を思わせる。こちらはすれ違うだけだが。幻想の中で「二十歳」が印象的〉と選評。 - 新潟日報12月8日
・津川絵理子選〈冬麗や猫町喫茶店予約 鈴木正芳〉
・中原道夫選〈稲妻や臍有るものに無きものに 鈴木正芳〉 - /十二月十六日津川絵理子選〈じゃんけんのパーにどんぐりありにけり 鈴木正芳〉/中原道夫選〈霧深しぬうと分厚き牛の舌 鈴木正芳〉/十二月二十三日津川絵理子選〈日向ぼこ認知症なる猫を抱く 鈴木正芳〉
- 毎日新聞12月10日「毎日俳壇」
・小川軽舟選「一席」〈熱燗や鍋敷となる求人誌 谷村康志〉=〈就職が決まって用の済んだ求人誌だと読んでおこう。明日からの仕事を気にしながら、ほどほどに酔いを楽しむ〉と選評。 - 読売新聞12月10日「読売俳壇」
・小澤實選〈冬蝶の風に吹かれて用水路 谷村康志〉 - 読売新聞12月16日「読売俳壇」
・小澤實選〈聖樹なるてっぺんの星姉が付け 高橋郁代〉 - 新潟日報12月16日
・津川絵理子選〈じゃんけんのパーにどんぐりありにけり 鈴木正芳〉
・中原道夫選〈霧深しぬうと分厚き牛の舌 鈴木正芳〉 - 産経新聞12月19日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈貧乏の気まぐれに買ふ熊手かな 谷村康志〉 - 新潟日報12月23日
・津川絵理子選〈日向ぼこ認知症なる猫を抱く 鈴木正芳〉 - 産経新聞1月9日「産経俳壇」
・対馬康子選〈猫の目となりて師走の街歩き 谷村康志〉 - 日本経済新聞1月11日「俳壇」
・神野紗希選〈パーラーや非正規だけの忘年会 谷村康志〉=〈軽食を囲む忘年会。お酒が入らないぶんほのぼのと優しい会で、同時に本音は各々の胸の裡にしまってあるのかもしれず、ほのかに切ない〉と選評。 - 結社誌「雪華」(橋本喜夫主宰)12月号の「厨の隅の俳句月評~俳句総合誌を読む~」(三品吏紀氏)が《蟬時雨ぺそりと割れしラングドシャ このはる紗耶》を取り上げ、〈俳句でオノマトペを使う際、ありきたりな表現では全く心に響かず、逆に奇抜すぎるオノマトペもまた、句の映像が霞んでしまう。難しくもあるが、上手く作品に嵌れば句の魅力が一層引き立つ。ラングドシャとは、薄焼きのクッキーにクリームを挟んだような菓子。それがぺそりと割れてしまったのだ。パキリでもサクリでも無い、どこか湿気を含んだような「ぺそり」。そして蟬時雨という夏真っ盛りの蟬のざわめきと、気温も湿度もピークの頃を思い起こさせる季語。それが妙な説得力を生んでいる〉と鑑賞。句は「俳句四季」10月号より。
- 結社誌「藍」(花谷清主宰)1月号の「俳句月評」(光末紀子氏)が《泳ぐ泳ぐ地球に消化されぬやう このはる紗耶》を取り上げ、〈泳いでいるのは何であろうか。筆者は、人間がたった一人、遠泳に出たとイメージした。広大無辺の海を、水平線へ向かって、あるいは水平線を越えてまで泳いで行くというイメージである。海を泳ぎ続けるとは、地球の表面をずっと行くことである。すべてのものを自らの中心に引きずり込もうとする地球の強大な力に消されぬように、あくまでもその力に抗して。これは、何かある壮大なものへの挑戦であるが、裏に途方もない無力感を張り付けた挑戦でもあるように思われる〉と鑑賞。句は「俳句四季」10月号より。
- 『俳句年鑑2025年版』(角川文化振興財団)の「年代別二〇二四年の収穫」における[80代前半]の項(天野小石氏執筆)が46名の俳人を挙げ、その中で三輪初子について、《仮の世の仮寝のめざめ曼珠沙華(「わわわ」8月号)》《男梅雨病と闘ふ老ボクサー(「炎環」9月号)》の2句を取り上げ、〈〈仮の世〉〈仮寝〉でこの世の無常を言い、〈曼珠沙華〉で天上の世界を示す。二句目、老いても戦い続けたボクサーは作者の伴侶。九月にご逝去。ご冥福をお祈り申し上げる〉と鑑賞。同じく[70代後半]の項(関悦史氏執筆)では、56名の俳人の中で関根誠子について、《マッカーサーの睥睨今もいぼむしり(「炎環」1月号)》《秋高し防災地図の街歩く(「炎環」2月号)》《絨毯の花にまぎれし正露丸(「炎環」5月号)》の3句を取り上げ、〈時事批判を、メッセージの暗喩化ではなく、現状に至る歴史的時間を抱え込んで句に受肉させた。ちなみに正露丸は元は「征露丸」の名で日露戦争時に将兵に配布された〉と鑑賞。同じく[60代前半]の項(西山睦氏執筆)では、39名の俳人の中で近恵について、《銭湯のにおい残雪蹴り飛ばす(「炎環」4月号)》《牡丹雪ぼそぼそ亡骸へ返事(「炎環」5月号)》の2句を取り上げ、〈羞恥心からくる屈折が魅力〉と評価。同じく[50代後半]の項(小野あらた氏執筆)、47名の俳人の中で齋藤朝比古については《開演のしはぶき取り敢へず済ます(「炎環」4月号)》《ふるさとの大きな音の扇風機(「炎環」8月号)》の2句を取り上げ、〈美しさよりも、正しく簡潔に伝えることを優先する表現が魅力。身も蓋もない表現に独特のおかしみが生れる〉と鑑賞、岡田由季については《巣穴から鋏のみ出す潮まねき(「炎環」4月号)》《青鷺の次の動きを皆で待つ(「炎環」5月号)》の2句を取り上げ、〈動物の句が多い。作者が好きだからこそ切り取れる、動物たちの素敵な姿の数々。動物好きの読者にはたまらない〉と鑑賞。同じく[50代前半]の項(藤田直子氏執筆)、26名の俳人の中で柏柳明子については《コーラスの出だしのフォルテ冬紅葉(「炎環」2月号)》《裸木となりていよいよ大きな木(「炎環」3月号)》《占ひの部屋の窮屈水中花(「炎環」7月号)》の3句を取り上げ、〈新鮮な発見をリズムよく詠む。初冬の濃い色の〈冬紅葉〉、堂々とした存在感の〈裸木〉、壜いっぱいに広がる〈水中花〉等、どれも作句の力を感じさせる〉と評価、田島健一については《心地よく浮かぶ月かたむき沈む(「炎環」1月号)》《雛まつり名前を消してころしあう(「炎環」6月号)》《夜のローソン家へ帰らぬ水母たち(「炎環」8月号)》の3句を取り上げ、〈〈月かたむき沈む〉は常ならぬ世を、〈名前を消してころしあう〉は世の不穏を、〈帰らぬ水母〉は少しいびつな現代社会を切り取っている〉と評価、宮本佳世乃については《二匹ゐて鈴虫の籠持ち重り(「炎環」23年11月号)》《笹鳴の奥に水平線のあり(「炎環」3月号)》《川よりも広き螢の夜なりけり(「炎環」9月号)》の3句を取り上げ、〈一読すると意外に思えるが、真実を表している。二匹の鈴虫の存在感、藪を越えると海が見えること、川幅よりも螢が広がっていること。俳句ならではの表現である〉と評価。同じく[40代]の項(鴇田智哉氏執筆)、53名の俳人の中で山岸由佳については、《病院の白く巨大にうららけし(「炎環」5月号)》《コールセンターわたくしだけが知る川鵜(「炎環」9月号)》の2句を取り上げ、〈病院、の空恐ろしげな情緒。川鵜、との秘かな繋がり〉と評価、西川火尖については《初夢にしつこく挙手を求められ(「炎環」3月号)》《妻仕事辞めて部屋中石鹸玉(「炎環」5月号)》《子の欲す蛙愛くるしく長寿(「炎環」6月号)》の3句を取り上げ、〈日々の生きづらさと、家族へのまなざしが胸に残る〉と評価。同じく[30代]の項(西生ゆかり氏執筆)では、30名の俳人の中で内野義悠について《ほうたるの湧く過呼吸のちぎれぎは(「俳句四季」23年12月号)》《残菊や酔ひ醒めの水ささくれぬ(同前)》《雪虫の揺れはらわたにあるかゆみ(同前)》の3句を取り上げ、〈〈ちぎれぎは〉〈ささくれぬ〉。体の奥から引き出してきた言葉だろう。〈はらわた〉の痒みは言葉を孕んでいるゆえか〉と評価。