面白い俳句を味わおう!
解説と鑑賞で広がる俳句の世界
炎環誌(炎環の俳誌)で発表された面白い俳句を集めてみました。
解説と鑑賞を通じて、面白い俳句に込められた言葉の美しさや背景にある情景を紐解くことで、俳句の世界がぐっと広がります。このページでは季節の移ろいや自然の描写、作者の心情など、短い言葉に込められた奥深い意味を知ることができるため、俳句の面白さをより一層感じることができるでしょう。
山眠るN極寄りの君が好き
土屋裕美子
「炎環」1月号より
解説
冬の山は、それを覆う木々が枯れて、見るからに生気を失い、まるで眠っているようだということで、「山眠る」が冬の季語。この発想は、中国の古い書物から来ており、冬ばかりでなく、春の花盛りの山は「山笑ふ」、夏の青葉に輝いている山は「山
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二人で山歩きをしながら方位磁石を見ていたら、相方が北寄りを歩いていたと、そんな単純な情景としても面白いし、変わり者、怒りっぽい人、偏りの強い人のことを「北向き」と呼ぶことを踏まえて読むと、すごく面白くて、良い句だなと思いました。
この一句には、冬のさみしい山があり、N極寄りの君がいて、その君を好いている私がいる。寒々しい景色の中、私の心には、ぽっと灯が点っている…って感じ。
百舌 鳴くや吟行 ついでの墓参り
飯塚惠美子
「炎環」1月号より
解説
もず(漢字は「鵙」「百舌」「百舌鳥」)という鳥は、秋になると木の高いところに止まり、キーッ、キーッと鋭い声で鳴きます。それは縄張りを主張するためで、このことにより「もず」は秋の季語。
「吟行」とは、俳句を詠むために戸外を歩くこと。何人か連れ立って名所旧跡などを歩き、その場で俳句をいくつか詠んで、そのあと集まって句会を開くというのが一般的です。また、一人だけで俳句ネタを探しながらぶらぶら散歩するなんてことも、「吟行」の一種と言っていいでしょう。
「墓参り」は、お盆の墓参りに限って秋の季語となりますが、お盆以外にもお彼岸やお命日など、何かあればいつでも行きますので、そのような場合ならば季語とは見なしません(この句の墓参りもそれ)。
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なるほど!と膝を打ちました。お墓参りが日常にある方ならではの、肩の力が程良く抜けた秀句だと思いました。
親族あるいは縁故の人の、そのお墓がある一帯を吟行しているんですね。鳴く百舌よろしく、この辺は私のテリトリーよと言わんばかりに。
冬耕 や大き薬缶 と黄粉 餅
環美代子
「炎環」1月号より
解説
「冬耕」が冬の季語。冬の間に田畑を耕すこと。土を養って、次の作物栽培に備えます。ちなみに「餅」も冬の季語。その点でこの一句には季語が二つありますが、この句の場合は、明らかに「冬耕」が主役です。
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収穫のあとの家族総出の鋤き起こし。三時の休みは黄粉餅。のどを潤しながら、みんな遠くの山を眺めています。
耕した後の土、大きい薬缶、そして黄粉餅。どれもみんな黄色っぽいんですけど、冬と言いながらも、明るい日差しを反射させていて、働いた人たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくるようです。
柿たわわ餓鬼大将の消えし村
花井ひろかつ
「炎環」1月号より
解説
「柿」が秋の季語。ところで俳句は、いまでも、歴史的仮名遣いで表記することが一般的です(ただし現代仮名遣いを方針としている俳人もいます)。その歴史的仮名遣いを意識すると、「たわわ」などは「たはは」と書きたくなるところですが、それは誤り。「たわわ」が正解です。
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昔はどこにも餓鬼大将が居ました。いつまでもたわわな柿と通じます。
村に餓鬼大将がいなくなったのは、そもそも、徒党を組むほどの数の子供がいない、つまり少子化が大きな原因なのではないでしょうか。一方で、その村に昔からある柿の木には、いまでもたわわに実がなっている。まさにそれと対照的です。
凩 に心臓攫 はれぬやうに
柏柳明子
「炎環」1月号より
解説
こがらし(漢字は「凩」「木枯」)は、冬の初めに吹く強い北風。冷たい風が勢いよく吹いて来て木の葉を落とし、気温がぐんと下がって一気に冬になった感じがします。もちろん冬の季語。
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うわぁ。この一句に心臓を持っていかれました。
心臓を攫われるだなんて、なんだか、ホラーみたいだな。
エルメスもプラダも持たず衣被
宮内久子
「炎環」12月号より
解説
サトイモは、親芋の周りに小芋が育ちますが、「きぬかつぎ」はその小芋を皮つきのまま蒸した料理の一品。つるりと皮をむき、塩などをつけて食します。もともと「芋」が秋の季語。イモにもいろいろありますが、俳句で「芋」と言えばもっぱらサトイモのことで、その料理である「衣被」も秋の季語です。
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季語の功! 衣被の「衣」は、イモの黒い皮を衣に見立てた料理名だと思いますが、その衣の洒落っ気のなさに作者が心を通わせています。
秋になれば衣被は居酒屋の定番メニュー。エルメスだのプラダだの、そんな高級ブランドなんか興味ない。衣被で一杯が、うーん、最高だねえ。
秋の夜夫の無呼吸かぞへをり
大山なごみ
「炎環」12月号より
解説
「夫」と書いて、俳句では「つま」と読みます。「夫」も「妻」もどちらも「つま」です。そして、「をり」は「何々している」という意味。この句は、秋の夜に、寝ている夫が呼吸を止めてしまう回数を、妻が数えている、というものです。
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命に関わる危険な状況とはいえ、冷静にその時間を数えている。どことなくブラックユーモアに富んだ句です。思わず笑ってしまいました。
そんな、笑っちゃいけない。だって妻は、無呼吸症候群を心配しているんでしょう。でもまあ確かに、〈秋の夜〉だなんて乙に構えられると、けっこう余裕も感じられるかな。
曼珠沙華 朱朱朱朱朱朱朱白ひとつ
福島サト子
「炎環」12月号より
解説
曼珠沙華、またの名をヒガンバナ。毎年、秋のお彼岸の時期にピタリと合わせて咲きます。上に向かって垂直に伸びた細い茎に葉はなく、茎の先にいくつかの真っ赤な花をつけ、花の中心から細く長く突き出している何本もの雌しべ・雄しべが、これまた真っ赤な色で、みな空に向かって反り返り、一本の茎の先の複数の花全体で、特異な形状の一つの花に見えます。いろいろなところに群生しており、たいていは赤ばかりですが、ときどき白いものが庭先に植えられているのを見かけることもあります。秋の季語。
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〈朱朱朱朱朱朱朱〉とは! この発想力に驚く。よくぞ詠み作ったことに感心する。
これ、シュシュシュシュシュシュシュと読めばいいんですよね。〈朱〉という字の縦棒を、下にずうっと伸ばせば、一本の曼珠沙華みたいな姿になる!
名月や龍に近づく老の松
箱森裕美
「炎環」12月号より
解説
いうまでもなく「名月」が秋の季語。中秋の名月、十五夜の月。ですからこれは、満月と決まっています。夜になると町にたくさんの明りが灯る今では、とても想像しにくいのですが、昔は、真っ暗な夜を照らす満月の光が、相当に明るくて、ありがたかったに違いありません。
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この〈松〉、海風に長年晒され続け、傾いた老松を想像しました。〈名月〉〈龍〉〈老〉と、強い単語が組み合わされた句ですが、〈近づく〉と表現されたことで美しい余韻を感じました。
月が出てまだ間もない時刻、松はその背後から、煌々たる月に照らされ、黒いシルエットを浮かび上がらせている。そのシルエットが、まるで天に昇らんとする龍のようだ、と、こんな感じですかね。〈龍に近づく〉は、龍に似てきた、という意味にとったんですけど。
スタートもゴールも地球鳥渡る
國武学
「炎環」12月号より
解説
「鳥渡る」が秋の季語。鴨や雁や白鳥などの渡り鳥が、北方の土地から日本の各地に向かって、群れをなして空を渡ってくる、その様子をこの言葉で表します。
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発見のある句が好きです。季語によって一気に地球の見え方、そこに立つ自分のあり方が変わってゆく感じがしました。読めば読むほどいろんなことを考えさせられます。
これ、地球を飛び発っても、けっきょく地球に戻るのだから、我々はどうあがいたって、地球という場所からは逃れられないってことでしょ。
いいえ。地球上には、スタート地点があり、ゴール地点があって、その2点のあいだに距離があるということが重要なのです。我々が地球から逃れられないからこそ、それが重要なのです。そのことを〈鳥渡る〉が示しています。
ATMにパトカー二台夜半の月
西石蕗
「炎環」11月号より
解説
「夜半」は「よわ」と読みます。これは夜中のことですが、単に「夜」と言うのに比べて、夜が更けた、深夜であるというニュアンスが強く出ます。真っ暗な真夜中の空高く、明るく輝く満月(あるいはまん丸に近い月)が「夜半の月」で、これが秋の季語です。
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この句には、不穏な空気を感じながらも、どこか、呑気さも感じるのです。面白い句だと思いました。
パトカーが2台も来ているからといって、俳句詠みは決して騒いだりしない。やおら、空に浮かぶ月を愛でたりなんかして、このポーズがなんとも粋ですよね。と言いつつ、でもやっぱり、パトカーの頭でくるくる回っている赤い光が、どうしても気になるのですよ。
溜息を小出しに二百十日かな
鮫島沙女
「炎環」11月号より
解説
立春から数えて210日目が「二百十日」、だいたい9月1日ごろに当たります。ちょうどこの時期、稲が開花するのですが、同時に、台風が襲来することも多く、お米を作る農家にとってはその年の収穫を左右するため、昔からこの日が恐れられていました。それがやがて、農家に限らず、この日を一般に「厄日」とすることが定着しました。秋の季語です。
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そぉか、溜息も小出しにすると上品なのかな。思わず一気に大きな溜息を吐く、そんな自分の無粋を反省しましたよ。
いやいや、溜息なんて、同じ吐くなら、一気に大きく吐いた方が、精神衛生上いいですよ。ただそうすると、周りの人が、ことさらに心配したり、いやな気分になったりするんですよね。この〈小出し〉というのは、そんな周囲への気遣いじゃないかな。あるいはまた、二百十日という季語へのオマージュでもあるかも。
端居とかなすすべもなし八月尽
谷村鯛夢
「炎環」11月号より
解説
〈端居〉とは、縁側や窓辺など、家の端のところ(外気と接する場所)に座って居ることですが、その目的は、涼しい風に当たって夏の暑さをしのぐことにあります。現在のようにエアコンがあれば、端居など必要のないこととはいえ、それでも、真夏の夕方、縁側などで自然の風に吹かれて涼むのは気持ちのいいことです。というわけで、〈端居〉は夏の季語。
一方、〈八月尽〉とは八月の末日のこと。〈尽〉が月末を意味します。この八月尽は立秋(8月7日ごろ)以降なので、季語としては秋の季語に属します。そうすると、この句、一句の中に二つの季語があることになり、このような状態を一般に「季重なり」と言います。ただ「歳時記」を見ると、「二月尽」「三月尽」「四月尽」「九月尽」は載っていますが、「八月尽」はありません。「八月尽」を詠んだ句はあまりないのでしょう。
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今年は本当に暑い夏でした。これから毎年、もっとひどくなるのでしょうか。
そう、今年は暑い上に、その期間が長かった。8月末はおろか、9月になっても、10月になっても、最高気温25度以上の夏日が続きました。実感として、夏のままなのか、秋になっているのか、境目もなく全然分からない、そんなところをこの句は、季語をうまく利用して表現しているように思います。
届きたる最後の保険証きちきち
たむら葉
「炎環」11月号より
解説
「きちきち」とはキチキチバッタのこと。草に止まっているバッタを摘まもうとすると、キチキチと音を立てて飛んでいくことから、こう呼ばれています。この句は、五七五の最後の五音(
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マイナンバー保険証に移行と聞きますが、長年使用の、慣れ親しんだこれまでの保険証は愛着あるものです。〈きちきち〉の表現が面白く、たいへん句が締まって良いです。
バッタは、稲を食い荒らす害虫なんですね。そんなところからも、現行保険証の廃止に対する抗議の気持ちがあるのかなと、なんとなく伝わってきます。
やや右に傾き癖の盆提灯
岡本葉子
「炎環」11月号より
解説
「盆提灯」は「ぼんじょうちん」と読み、お盆のときに、先祖や身内の故人を迎えるためにしつらえる提灯のことです。お盆はもともと旧暦の7月15日に営まれましたので、「
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どうも右に傾いちゃうのよねぇ、と言いながらも、優しい手つきでお盆を準備されたのでしょう。きっとこれからも、この盆提灯の傾きに安心しながら、故人を偲び、年月を重ねていくのでしょうね。
〈やや右に傾き癖〉の〈やや〉がいいですよね。この一言で、その提灯が確かに存在しているというリアリティが鮮やかに出ました。そして、〈癖〉というのもいい。飾っている人のその提灯に対する愛着というか、気持ちが、この一字にくっきりと表れました。