俳句の季語の意味と使い方!
映画と音楽タイトルにある季節の表現
季語とは日本の季節を感じさせる言葉であり、俳句のみならず映画や音楽のタイトルにもよく使われています。このページでは、実際に映画や音楽のタイトルに使われている季語を抜き出し、季語の意味や使い方、さらには季語を取り入れた美しい例句をご紹介します。
作品に季節感をプラスするヒントが満載ですのでぜひ参考にしてみてください。
冬の季語
細雪
公開年:1983年 監督:市川崑
出演:岸恵子、佐久間良子、吉永小百合
季語
雪 (冬の季語)
「雪月花」という言葉があるように、雪は、春の花(桜)、秋の月と並んで、四季おりおりに楽しむ眺めの代表格。「
例句
- 降る雪の真中に立つてをりにけり
宮本佳世乃(『三〇一号室』より) - 何もいらないのに雪が降りにけり
西川火尖(『サーチライト』より)
季語の解説
俳句を始めると、雪を詠まない人はおそらくいないでしょう。雪が積もれば、辺りの風景が一変し、その感動を、ぜひとも一句に残しておきたくなるものです。
しかし「雪見」で賞賛するばかりが雪ではありません。雪国では、何か月間も積雪によって生活が制限されますし、逆に雪の少ない東京などでは、ちょっと降っただけで交通が麻痺します。雪にはいろいろな顔があり、雪を詠んだ句も実に多種多様です。
そんな中、宮本佳世乃と西川火尖は、二人とも、ただただ「降る雪」と「自分」のことだけを書いています。宮本は、雪が降る空間のその中心に、一人きりで立っているのだと感じている孤独な自分。西川は、雪みたいなものなど何もいらないのに、本当に欲しいものはほかにあるのに、とぼやいている自分。
クリスマス・イブ
山下達郎 発売日:1983年12月14日
作詞:山下達郎 作曲:山下達郎
季語
クリスマス (冬の季語)
12月25日。イエス・キリストの降誕を祝う日、というより、クリスマスツリーを飾り、プレゼントを交換し、ケーキを食べる日というのが、いま日本で一般に定着しているクリスマス。音数を節約するために、クリスマス・イブを「聖夜」、クリスマスツリーを「聖樹」、クリスマスケーキを「聖菓」とも言う。
例句
- 苦情処理係聖樹を灯しゐる
岡田由季(『犬の眉』より) - ここ押すとくちびる出ますクリスマス
田島健一(『ただならぬぽ』より)
季語の解説
クリスマスは本来が宗教の行事ですから、信仰との関連で詠むのが筋であるとはいえ、日本では大衆文化としての色合いが強いため、俳句もそのような内容で詠まれることが一般的です。
岡田由季の苦情処理係、その仕事は決して楽でないと想像されますけれども、その人が、聖樹すなわちクリスマスツリーの電飾に明かりを入れています。ここに宗教的な意味合いなどは何もなく、ただそれが苦情処理係であるという意外性、さらに言えば、私だけがそれを知っているという優越感、それがこの句の面白さでしょう。
田島健一の句は、現実の何かを写しとったものではなく、ただここに書かれているとおりのことをそのまま想像してみてください、というものです。どんなものを想像するかは人によってさまざまでしょう。自分の想像した絵に自分で笑ってしまう、なんてこともあるかもしれません。
およげ!たいやきくん
子門真人 発売日:1975年12月25日
作詞:高田ひろお 作曲:佐瀬寿一
季語
鯛焼 (冬の季語)
1年じゅう毎日毎日焼かれているが、やはり寒い冬に食べるのがいちばん美味しい。
同種の今川焼、大判焼、さらに肉
例句
今際 の母へ鯛焼ひとつ買うてをり
石寒太(『風韻』より)- 鯛焼やキャンセル待ちのコンサート
前島きんや(『紺の背広』より)
季語の解説
1年中あるのに冬だけにしか詠めないとは、俳句を作る人の立場からすると、季語というルールも窮屈なものだと感じられるかもしれません。しかし、季語とは、俳句を読む人(読者)のためのものでもあるという点が重要。俳句に冬らしいことが何も書かれていなくても、「鯛焼」とあれば、それは寒い冬のことだと句の背景が絞られるので、読者はかえって想像を豊かに広げることができるのです。
石寒太の句は、母が危篤、せめて熱々の鯛焼を食べさせてあげたいと、実はもうそれどころではないのでしょうけれども、どうにもならない子の悲しみが伝わってきます。
前島きんやの鯛焼は、いかにもほかほかとしていて、甘く、年末に行われる人気の高いコンサートの、その予約は取れませんが、それもなかば諦めているように感じられます。
さざんかの宿
大川栄策 発売日:1982年8月1日
作詞:吉岡治 作曲:市川昭介
季語
山茶花 (冬の季語)
冬に彩りを添える代表的な花の一つ。
紅や白の、五弁または八重の椿に似た花で、庭木や生け垣に植えられており、都会でもよく目にする。散ると花びらが根元を紅や白に染めて鮮やか。
例句
- 山茶花や
躙口 より足二本
市ノ瀬遙(『無用』より) - 無理矢理に山茶花の薮通る猫
岡田由季(『中くらゐの町』)
季語の解説
さざんかは、その葉が茶の葉に似ていることもあり、古来「山茶花」「茶梅」などと書きます。
市ノ瀬遙の句は、ある家の庭には山茶花がたくさん咲いており、その山茶花の向こうが茶室になっているようで、見ていると、その茶室の出入り口である「躙り口」の戸がさっと開いて、そこからまず足が二本出てきたという情景。風流と見せかけてユーモラスな落ち。
岡田由季の「無理矢理」という文字の印象からは、山茶花の木に花がびっしりと咲いていて、地面にも花びらをいっぱいに敷き詰めているさまが想像でき、そこに猫の目がキラリと光っています。
秋の季語
秋刀魚の味
公開年:1962年 監督:小津安二郎
出演:岩下志麻、笠智衆、佐田啓二
季語
秋刀魚 (秋の季語)
秋刀魚は9月から10月が食べごろ。
残暑が去り、秋も深まり、一年で最も五感の鋭くなる時期に、味覚を楽しませてくれるものの代表。
例句
- 三尾みな同じ方むけ秋刀魚焼く
齋藤朝比古(『累日』より) - 思ひ出し笑ひ秋刀魚の煙り中
石寒太(『翔』より)
季語の解説
秋刀魚といえば塩焼き。そのためか、焼く場面を句にすることが多く、「秋刀魚焼く」と5音にして、これを上五か下五に置いた句がよく見られます。石寒太の句は、「焼く」とは言わずに焼いている場面を読者に想像させる、そういう句です。秋の味覚の代表ですが、俳句の題材としてはもちろん、焼くこと食べることに限定されるものではありません。
ギターを持った渡り鳥
小林旭 発売日:1959年10月20日
作詞:西沢爽 作曲:狛林正一
季語
渡り鳥 (秋の季語)
越冬のために、秋、北方から日本に渡ってくる鳥のこと。
秋と限定するため、逆に、燕のような、春に南方から渡ってくる鳥は、これに含めない。
具体的には、鴨、雁、白鳥、鶴、
これらの鳥の、群れをなして渡ってくる光景に、季節の移り変わりをしみじみと感じる点がポイント。
また、
例句
- 方形の空の一辺鳥わたる
石寒太(『翔』より) - 鳥渡るオーケストラの音合はせ
柏柳明子(『揮発』より) - 間取図のコピーのコピー小鳥来る
岡田由季(『犬の眉』より) - 生も死もたつた一文字小鳥来る
石寒太(『生還す』より)
季語の解説
「鳥」そのものよりも、「渡り」に注目することの方が多く、「鳥渡る」のかたちが好んで使われます。
ちなみに、「鴨」「白鳥」「鶴」それ自体は冬の季語、「雁」「
石寒太の句の「方形の空」は都会のビルの谷間から見た空で、そんな都会の空を鳥が渡っていく、それを見た感動が詠まれています。
柏柳明子の句は、大勢で一つの演奏へと向かう音合わせの作業に、鳥が越冬地へ心を合わせて渡っていく情景を重ねています。
小鳥は身近なところで観察されるため、「小鳥来る」はたいへん使いやすい季語です。
単に「小鳥」だけでも季語(秋)になりますので、それに「来る」をあえて付けるのであれば、季節が巡って最初にそれらの小鳥と出会ったことの喜びに、重点を置いて詠みたいところです。