しらべの不思議 Ⅲ
永田 吉文
では連句を具体的に見てみよう。
まず、連句には主題やテーマが無い。いらないのである。西洋の文芸では考えられないことであろう。手元にある「現代詩手帳」の「現代詩年鑑二〇一二」を見ても、すべての詩にタイトルが付いている。それは詩の一部でもあるタイトルが主題やテーマを現わしているからである。タイトルの無い詩などない。タイトルが有るのが詩である。無論、詩情のあるものは世の中に沢山ある。彫刻であったり、風景であったり、音楽であったり。しかし、文芸としての詩にはタイトルが、主題が必ずある。しかし連句にはタイトルが無い。いらないのである。
これから解説する蕉門の代表的な連句『猿蓑』の巻之五にある一巻にもタイトルは無い。しかし人々は、発句の上五をとって「市中は」の巻と仮に呼ぶ。それは、他の巻々と区別するための符丁としてである。
今日の連句では、上五ではなく、中七や下五を、巻に付けて、他の巻と区別して呼ぶ人もあるが、それは連句の本質にかかわることではなく、現代人の好みの問題である。さらに、発句にはない言葉を付ける方もあるが、それは本来の姿ではない。主題やテーマが無いにもかかわらず、連句が優れた文芸であるのは何故であるか、それを皆さんと一緒に見て行きたいと思う。
小説やエッセーでもない連句は、西洋の文学理論にあてはまらない。しかし、学者達はそれにあてはめようと、詩に当てはめた。散文と詩しかない文学理論においては、散文ではない連句は、詩以外には考えつかないのは当たり前の事である。詩という言葉の持つ優越的響きもあった。西洋文芸において、詩人は尊敬されている。しかし、日本においては、小説家が断然、社会的地位が高い。芥川賞直木賞のマスコミの扱い方を見れば歴然としている。社会的には小説家が圧倒的に評価されているのが、現代日本の現状である。しかし、俳人は無論のこと、歌人も、柳人も、日本の文芸を支える創作者として、小説家と同じウエイトである、と私は考えている。私の中での上下はない。詩人も同じである。しかし、日本人は、詩人という響きにも弱い。憧れにも似ているものがある。詩人と呼ばれることによる心地よさは、詩を書いていた若い頃の私にはあった。しかし、詩をやり、短歌を詠み、俳句や川柳を試み、連句や連歌も出来るようになると、それぞれの魅力と違いが解かるようになって来た。日本の文学理論は日本の文芸に相応しいものとして考えなおす時が来ているように思う。
さて、『猿蓑』は蕉門の連句集の中で、私が個人的に好きな集であり、中でも「市中は」の巻は傑作と呼ぶ人もあり、取り上げてみた次第である。まず全体をお見せします。
元禄三(一六九〇)年、六月上旬京に出、同月十八日まで、凡兆宅を定宿として在京。その間の成立らしい。
【発句・月】
- 1
市中 は物のにほひや夏の月(凡兆・夏・場)
【脇】
- 2 あつしあつしと
門々 の声(芭蕉・夏・他)
【第三】
- 3
- 4 灰うちたたくうるめ一枚(兆・自)
- 5 此筋は
銀 も見しらず不自由 さよ(蕉・自他半) - 6 ただとひやうしに長き
脇指 (来・場)
【ウ】
- 7
草村 に蛙 こはがる夕まぐれ(兆・春・自) - 8
蕗 の芽とりに行燈 ゆりけす(蕉・春・自)
【花】
- 9
道心 だうしん のおこりは花のつぼむ時(来・春・他) - 10
能登 の七尾 の冬は住みうき(兆・冬・場)
【恋】
- 12
待人入 し小御門 の鎰 (来・自他半)
【恋】
- 13
立 かかり屏風を倒す女子共 (兆・他) - 14 湯殿は竹の
簀子 侘しき(蕉・場) - 15
茴香 の実を吹落す夕嵐(来・秋・場) - 16 僧ややさむく寺にかへるか(兆・秋・他)
【月】
- 17 さる引の猿と世を
経 る秋の月(蕉・秋・他) - 18 年に
一斗 の地子 はかる也(来・冬・自)
【ナオ】
- 19 五六本
生木 つけたる潴 (兆・場) - 20
足袋 ふみよごす黒ぼこの道(蕉・場) - 21
追 たてて早き御馬の刀持 (来・他) - 22 でつちが
荷 ふ水こぼしたり(兆・他) - 23 戸障子もむしろがこひの売屋敷(蕉・場)
- 24 てんじやうまもりいつか色づく(来・秋・場)
【月】
- 25 こそこそと
草鞋 を作る月夜さし(兆・秋・自) - 26
蚤 をふるひに起 し初秋(蕉・秋・自) - 27 そのままにころび
落 たる升落 (来・場) - 28 ゆがみて蓋のあはぬ
半櫃 (兆・場) - 29 草庵に
暫 く居ては打 やぶり(蕉・自) - 30 いのち嬉しき撰集のさた(来・自)
【恋・ナウ】
- 31 さまざまに品かはりたる恋をして(兆・自他半)
【恋】
- 32 浮世の
果 は皆小町 なり(蕉・自他半) - 33 なに故ぞ粥すするにも涙ぐみ(来・自)
- 34
御留主 となれば広き板敷 (兆・場)
【花】
- 35 手のひらに
虱這 はする花のかげ(蕉・春・場)
【挙句】
- 36 かすみうごかぬ昼のねむたさ(来・春・自)