しらべの不思議 Ⅷ
永田 吉文
- 九 道心のおこりは花のつぼむ時 来
「花」の句で季節は春。「花」具体的に桜のことだが、美しい花々の象徴でもある。「
発句は一巻において最も尊ばれるが、それにつづいて「花」と「月」の句が尊ばれる。それ故、「
私の所属する連句会は蕉門の伊勢流にあたる。その祖は、蕉門十哲の一人の
- 自の句は、自分が何かをする句。
- 他の句は、他人が何かをする句。
- 自他半の句は、自分も他人も一緒になって何かをする句。
- 場の句は、只の景色の句。風景の句。時事などの概念の句。
これらを使って一句一句を分類し、打越が同じにならないようにするだけで、大体転じる句を付けることが可能となるのである。この「市中は」の巻きで具体的に示すと…。
発句 = 場 | ナオ | 十九 = 場 | |
脇 = 他 | 二十 = 場 | ||
第三 = 他 | 二十一 = 他 | ||
四 = 自 | 二十二 = 他 | ||
五 = 自他半 | 二十三 = 場 | ||
六 = 場 | 二十四 = 場 | ||
ウ | 七 = 自 | 二十五 = 自 | |
八 = 自 | 二十六 = 自 | ||
九 = 場 | 二十七 = 場 | ||
十 = 場 | 二十八 = 場 | ||
十一 = 自他半 | 二十九 = 自 | ||
十二 = 自他半 | ナウ | 三十 = 自 | |
十三 = 他 | 三十一 = 自他半 | ||
十四 = 場 | 三十二 = 他 | ||
十五 = 場 | 三十三 = 他 | ||
十六 = 他 | 三十四 = 場 | ||
十七 = 自 | 三十五 = 自 | ||
十八 = 自 | 挙句 = 自 |
大雑把に分類したが、ほぼ自他場の方法論に合っている。芭蕉自身が何処まで意識していたか知れないが、北枝が分析した通り、芭蕉はそれを結果的に実践出来ていた。もっとも今日では、場場自自場場のように、場の句二句で人情句二句を挟むことを「縞になる」といい、作品の力がなくなり面白味がなくなる」として避けている。場の句と人情句が逆になっても同じである。変化を重視した考え方と言えよう。「市中は」の巻に戻る。
- 十 能登の七尾の冬は住みうき 兆
季節は冬。前句の春から、この句の冬への「季移り」。能登の七尾は、石川県の能登半島の北岸の漁師街の地名。一巻に地名や人名を出すのも一興とされ、今でも行われている。
能登の七尾は冬が厳しく、住み辛い所であるという。前句を僧と見て、その述懐とした付句。古くから『撰集抄』(説話集)の見仏上人の俤とされる。撰集抄は西行仮託のもので、江戸時代の俳諧師たちによく読まれていたという。「住みうき」という表現が、しみじみとしていて和歌的もあり、いかにも老僧の回想の体で上手い。前句は「花」で春であるが、実際は蕾ではなく、若さの象徴と見て、しかもこの句が回想の形をとった冬でもあり、想像の中(概念上)での季移り故に、無理のない付句と思われている。一季の中での季戻りは禁じられているし、無理な季移りは嫌われる。ここも打越のこころもとない春のシーンから、冬の具体的な厳しい実感へと大きく転じている。