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自覚者達の芸道 20

島 青櫻

 無分別の命、すなわち無の一物の発する言語は、命の法の働きに帰依した真の命が発する言語、命の法に則した言語、といえる。芭蕉的にいえば、無の一物の発する言語は誠の詞――私意を離れたところの誠意が発する言葉、造化に帰依した命の章句――といえる。また、世阿弥的にいえば、無文の詞――無心の心より出で来る言葉、阿弥陀に帰命した真の命の章句――といえる。何れの章句も命の法に相即し、命の法に繰られる狂者が発する狂言に他ならない。言い直せば、芭蕉の狂言と世阿弥の狂言との差異をよくよく考慮すれば、遊行の芸における言語創作と道行の芸における言語創作とは、共に真の言語創作という点において異ならない。すなわち、いずれの言語創作も狂者の言語創作、といえる。狂とは、根拠の働きに相即し繰られる霊魂の働き、その本質は無意識、といってもよい。換言すれば、狂言は、根拠としての命の法における言語、真の言語、といってもよい。

 先にみたごとく、根拠における自己を生きることを可能にする時空の間の創作を目的とする芭蕉の俳諧としての言語は、自覚者による自覚者の狂言、といってもよい。一方、自己を忘れて根拠に生きることを可能にする時空の間の創作を目的とする世阿弥の能楽としての言語は、自覚者による無自覚者の狂言、といってもよい。この場合、無自覚の狂という事態は、命の法における無自覚の事態と考えるとき、そしてまた、無自覚の事態を命の法に基づき物語り物真似するとき、無自覚の狂は命の法における真の事態となる。すなわち、無自覚の狂を物語り物真似することは、真化する営み、つまり、命の法に基づける行為、とみることができる。したがって、世阿弥の能は、自覚者による無自覚者の営為、言い直せば、命の法に基づき物語り物真似する自覚者による無自覚者の芸事、とみることができる。

 無の一物の発する言語が開く境域は、只々、面白い、不思議な時空の拡がり、それは無分別の目をもって見る者の心を引き付ける光景、といえよう。「面白い」の意味は、『広辞苑』に依れば、「(目の前が明るくなる感じを表すのが原義で、もと、美しい景色を形容する語)目の前が広々とひらける感じ。」を謂う語とある。また、「不思議」とは、「よく考えても原因・理由がわからない、また、解釈がつかないこと。いぶかしいこと。あやしいこと。奇怪。」の意義、要するに、夢のごとき非合理性の出来事の光景を謂う語、ともいえる。それは分別の目をもって見るときの「面白い」「驚き」の知的意向でもなく、「哀れみ」の情的意向でもない。それは、只々、不可思議な事態に自己を忘れて憧憬(アクガレ)出づる最も素朴な心情の傾き、といってもよい。見る者の心を引き付ける、面白く不思議な光景は、見る者を忘我、すなわち無意識情態にする働きを秘めている、といってもよい。就中、物語と物真似の歌舞からなる能楽は、他の芸事(和歌・連歌・絵・茶・俳諧)と比べ、面白く不可思議な時空の間の拡がり、言い直せば、夢幻の間を創出するのに優れた芸事、ともいえよう。

 見る者を無分別情態にする働きは、見る者を光景の境に繋ぎとめる働き、いうなれば、絆(ホダ)す働き、命の法の能力、ともいえる。つまり、我を忘れて見る者は、命の根源としての無意識が無の一物を通して発する言語が開く境に絆されることに他ならない。言い直せば、見る者(客)は、見られる者(主)が発する言語によって、命の法の境、只中の間に誘われるのである。自覚的芸道者の発する言語は無意識における言語であり、その言語が開く境域は、唯々、面白く、不可思議な時空の拡がり、見る者の心を誘い、絆す光景、といえる。この光景が見る者の心に映った瞬間、世阿弥のいう「見所も妙見に忘じて」、主と客との交感和合が成就する、といえる。此処に真の芸道の神髄があり、真の芸道者の本懐がある、といってもよい。言い直せば、それは主客もろとも、真・美・善三位一体の真の命を成就する営為に他ならない。

 西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶、そして芭蕉の俳諧等の芸事は、偶然の邂逅における当座の興味、すなわち、客と主との即興の交感和合、挨拶ともいえる芸事、といってもよい。偶然の出会いには、予め用意された筋書きといった必然的因果はない。あくまでも、たまさかの縁起以外の何事でもない。が、しかしそこには交感和合の手立て、作法がある。和歌・連歌・絵・茶・俳諧に共通する事は、一定の形式に基づく芸事、といえる。和歌の定型、連歌や連句の歌仙・百韻といった様式上の規則等、表現上の方式が存在する。例えば、歌仙には、去嫌(さりぎらい)といって、詞と詞、同季、同字、類似、縁深き語等の、近づくのを嫌い、それを離れる約束や、発句に始まり挙句で終わる三十六句には、月の座や花の座といった定座ばかりではなく、発句の季節によって以後の句の季節や詠む事柄(恋・雑・等)まで、事細かく順序が決められている。斯うした歌仙の展開順序の取決めは、一種の筋書きといえなくもない。即興と筋書きとの関係でいえば、能は筋書きにおける即興の芸事であり、歌仙は即興における筋書きの芸事、ともいえよう。而して、即興性という側面から芸事を捉えるならば、筋書きのある能も、筋書きのない和歌、連歌、絵、茶、俳諧も、結局、即興性の芸事であることには変わりない同一の芸事、といってもよい。すなわち、世阿弥の能は、西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶、と本質的に同一の芸事、といっても差し支えない。芭蕉の口吻をもっていえば、「その貫道するものは一なり」の芸事、といえる。

 斯くの如く、邂逅における交感和合としての挨拶、真の詞の湧出としての滑稽、当座における営為としての即興、という様相に直接光をあててみるかぎり、世阿弥の能は、西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶、そして芭蕉の俳諧と同一の芸事、といってもよい。

 芭蕉の志した芸事は、根拠としての真――自然の法理としての造化――に自己を投げ入れ、誠の風雅に生きることにある、といってもよい。誠の風雅とは、旅先で出会った森羅万象や人物と交感和合し、真の詞、すなわち広義の詩を成す芸の道を謂う。雪舟の絵や利休の茶も広義の詩であり、その意味で俳諧と同じく、真の詞を成す芸事、とみることもできる。すなわち、「笈の小文」の中で芭蕉が挙げた芸事――西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の絵、利休の茶――は、旅の途上で出会った森羅万象や人物と交感し、詩を成す芸事というところで貫通する、といってよい。いずれの芸事も、真としての命の法の許に自己を放下し誠の風雅に生きる芸道、といってもよい。言い直せば、真の自己に生きることを目的とする芸道、いわば、求道の芸事、ともいえよう。端的にいえば、芸事は真実の自己実現を可能にする術、すなわち芸道となる。

 一方、世阿弥が志した芸事は、挨拶性、滑稽性、即興性、といった外面的側面における性質で芸事を捉えるかぎり、芭蕉が志した芸事と同一、といってもよい。すなわち、自己を真に投げ入れ、詩を成し、命の法に従って生きる芸事というところまでは、芭蕉の芸事と世阿弥の芸事は異なるところがない。しかしながら、芸事の創作目的とするところに光を当てるとき、言い直せば、内面的側面における性質に光を当てるとき、其処には少なからぬ隔たりがあるとみなければならない。

 芭蕉の芸事は、命の法、すなわち、根拠における自己を生きることを可能にする時空の間の創作を目的とする芸の道、といえる。根拠における自己を生きるということは、根拠を自覚し、根拠に己の命を帰入し、根拠の法に従って生きること、つまり、命の法に即した真の自己を生きることに他ならない。芭蕉は、真の自己を生きることを芸事の目的とした、といってもよい。斯様な芸事は、先に述べた如く、遊行の芸道、とも呼べよう。

 芭蕉の俳諧は遊行の芸事、と呼ぶならば、世阿弥の芸事は、無自覚、すなわち無明のままで根拠に生きることを可能にする時空の間の創造を目的とする芸の道、先に述べた如く、道行の芸道、とも呼べる。無明のままで根拠に生きるとは、只々、面白く不可思議な時空の間、神の繰る間、いうなれば、神遊びの間に、己を絆すことに他ならない。世阿弥の能の目的は、斯様な不可思議で夢のごとき神遊びの間の出来事を、物語と物真似の歌舞によって創出し、其処に生きることにある、とみることもできる。

 世阿弥の能の美的理念である花、すなわち無風の佇まい、そして幽玄、すなわち瑞風の余情は、根拠に相即し、繰られる無自覚者の狂態を指している。花は究極的な面白さの姿の様相であり、幽玄は究極的な不可思議な心の在り様、といってもよい。言い直せば、面白く不可思議な事態とは、ものにとりつかれた物の気の立ち振る舞い、すなわち無風の佇まいであり、心根に顕れる喜怒哀楽、すなわち瑞風の余情、ともいえよう。言い直せば、物狂の無風の佇まいと瑞風の余情は、狂おしくも無明の自己をわすれ根拠にひたすら生き通す究極の風姿であり、究極の風情である、といってもよい。

 一方、芭蕉の俳諧の美的理念である詫び、すなわち風狂の佇まい、そして寂び、すなわち風雅の余情は、根拠に相即し、真の自己を生きる自覚者の狂態、といってもよい。言い直せば、詫びは究極的な真の自己の身の様相であり、寂びは究極的な心の在り様、ともいえよう。つまり、佇まいは真に生きる果ての身なりであり、詫びは真に生きる果ての心模様である、といってもよい。

 根拠としての真の営為を神遊びに喩えるならば、芭蕉の芸事は、神遊びの只中に参加し主客共々楽しむ創作の道、一方、世阿弥の芸事は、神遊びに主客共々見惚れて楽しむ芸の道、ともいえよう。いづれも神遊びを楽しむ心に異ならない。が、しかし能動的と受動的、或いは、積極性と消極性、という観点から自己の生き方を推し量るならば、其処には根本的な立ち位置の違い、言い直せば、意向の異なる芸事であることがみえてくる。すなわち、根拠における自己を生きることを目的とする芭蕉の芸事は、能動的で積極的な遊行の芸事、また、自己を忘れて根拠に生きることを目的とする世阿弥の芸事は、受動的で消極的な道行の芸事、両芸事は、本質的に心構えの異なる芸の道である、と。

 遊行的生を意向する心構えと、道行的生を意向する心構えは、生きる姿勢の違いであって、善悪、或いは、優劣や賢愚といった価値基準で測れる性質の事柄ではない。いずれの芸事も、命の法を自覚した自覚者の芸事へ向かう心構え、といってもよい。遊行的生を選ぶか、或いは、道行的生を選ぶかは己の命運の自覚にある。「一たびは仏籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。」(「幻住庵の記」)は、芭蕉の命運の回想であり自覚、といってもよい。芭蕉の己の命運の遅き自覚に比べれば、観世流を創始した観阿弥を父とする能楽の家系に生を受けた世阿弥の己の命運の自覚は、物心がつくとともに自覚されたに違いない。世阿弥の自覚は、父観阿弥の能、すなわち、物語と物真似によって面白く不可思議な夢のごとき時空の間の出来事を創出し、其処に生きる観世流の能を引き継ぐ命運、といってもよい。言い直せば、斯様な己の命運の自覚は、自己をわすれて根拠に生きる道行的生を選ぶことに他ならない。

 世阿弥の能は、物狂、無明の境に生死する霊魂の風姿を映し表現した芸事、といってもよい。然し、自覚的芸道者である世阿弥は斯様な無明者の命を如何なる眼差しをもってみていたのであろうか。

 真の法理を覚悟した自覚者といった類の人間は稀であって、世の大概の人間は、無明のまま分別の境に生死する分別的無明者、といえる。或いは、いまみてきた如き無自覚のまま、無邪気な童にも似た無分別の境に生死する無明者達も少なくない。但し、分別的無明者と無分別無明者とには、生死する境涯が決定的に異なる。分別的無明者の生死する境涯は、命の法の働きから逸れた境界、いわば無法の間、根拠不在の間といってもよい。一方、無分別的無明者の生死する境涯は、命の法の働きの只中における境界、すなわち無量の命の働きが有量の命を繰る境界、いわば法の間、根拠の間、といってもよい。

 無分別的無明者の生態は命の法の働く間における狂態とするならば、分別的無明者の生態は命の法の働きから逸れた間における狂態、ともいえよう。その狂態は、いうなれば、神の喪失した間における狂態、人間の意思の力のみを頼りに生死する神不在の間における狂態、言い直せば、ニーチェが名付けた超人(Übermensch)の狂態、ともいえる。その狂態は、唯物論的合理主義が支配する現代の世界に生死する人間の狂態、ともいえよう。

 自己をわすれて根拠に生きる道行の命は、無自覚のまま、命の法の間に帰依・帰命した命、ともいえる。その営為は、造化に従い造化に帰った芭蕉の営為と変わるところがない。異なるのは覚悟だけである、ともいえる。世阿弥は、無明者の物狂の姿・詞・振舞こそが無分別に生死する凡夫の真の風姿であり真の風情、とみたに違いない。斯様な凡夫の狂態を物真似することこそ真の芸、すなわち凡夫の真を映すことこそが芸の最大の目的と考えていた、といえなくもない。

 物狂は、物の気にとり憑かれた霊魂における霊性の顕れ、それは無分別の間に無明のまま生死する凡夫の物に拘り執着する心情が昂じた果の執念、或いは怨念、といってもよい。すなわち、物狂は、物の怪に憑りつかれ、それに憑き動かされる怨霊、ともいえる。然して、物狂いの生死する境は夢幻の間、その想いは夢想や幻想ともいえよう。

 夢は睡眠時における意識現象、また、幻は覚醒時における意識現象、いずれも無量の命の許における有量の命が目の当たりにする光景、ともいえる。世阿弥の幻夢能の演じられる間は、夢と幻とが一如の境、すなわち幻即夢∞夢即幻の命の法の間、といってもよい。其処は生霊と死霊とが一緒に住む間、永遠に夢をみる唯一の霊的生命の間、いうなれば、夢遊びの間、ということもできよう。

 芭蕉が俳諧という芸に求めた術は、命の法に即した誠の俳諧を創作することによって、真の道を歩む方途にあった。すなわち、俳諧は自己他己共々に真実に生死する為の術であった、といってもよい。端的にいえば、芭蕉の芸に対する基本姿勢は、聖道門的自覚を濫觴とするものであった。

 一方、世阿弥が能楽という芸に求めた術は、命の法に即した真の演技であっても、それのみが目的ではない。世阿弥が能楽という芸に求めた術は、ひとつに、物狂の境に生死する無明者の事様こそ人の世の常なる真の営みと看取り、その風姿を物真似て、すなわち物狂の者に成りきることによって物狂の者を浄化することにあった、といってもよい。いまひとつは、観客に真の物真似の演技を見せることによって、世阿弥観客共々真実に生死することにあった、といってもよい。世阿弥の芸の本質は、見世物、観客に人の世の常なる営みを見せることによって、観る者を楽しませ慰めることによって浄化することにあり、それを実現する術が能芸であった、ともいえよう。端的にいえば、世阿弥の芸に対する基本姿勢は、浄土門的自覚を濫觴とするものであった。

 結局、遊行的芸道の創作目的は、根拠における自己を生きることを可能にする時空の間の創造、詫び、すなわち狂の身形と、寂び、すなわち狂の心情とが相即する間の創出、いわば、有心即無心∞無心即有心の寂寥の間を建立するところにある。一方、道行的芸道の創作目的は、自己を忘れて根拠に生きることを可能にする時空の間の創造、花、すなわち狂の身形と、幽玄、すなわち狂の心情とが相即する間の創出、いわば、煩悩即涅槃∞涅槃即煩悩の妖艶の間を建立するところにある。寂寥の間は能動的で男性的な狂の時空の間とすれば、妖艶の間は受動的で女性的な狂の時空の間、ともいえよう。

 「造化にしたがひて四時を友とす。見るところ花にあらずといふことなし」(笈の小文)、というところの花は、寂寥の間の四時、すなわち季節における狂態、いうなれば、時局の美の姿、ともいえよう。すなわち、時局の美の姿である花は、本質的に、慈愛に基づく寂寥の間の美の姿としての詫び、とみることができる。そして、寂寥の間に開く花の身の辺には、自ら狂う命の慈しみの趣としての寂びが余情として揺曳している、といってもよい。

 一方、世阿弥のいう時分の花は、妖艶の間における積年的時節における狂態、いうなれば、時熟の美の姿、ともいえよう。すなわち、時熟の美の姿は、本質的に、消極的受動的心構えに生じる悲哀に基づく妖艶の間の美の姿(花)、とみることができる。そして、妖艶の間に顕れる花の身の辺には、自ずと狂う命のかなしみの趣(幽玄)が余情として揺曳している、といってもよい。

 「笈の小文」の中で、貫通する芸道として、芭蕉が世阿弥の能を挙げなかったのは、今みてきたごとく、根っこのところで意向の異なる芸事、目的を異にする芸の道、と観取したからではなかったからではないか。すなわち、世阿弥が懐き表現する世界、無明の境に生死する物狂の命の風姿、すなわち無自覚が故に無常の世を呻吟い、無闇に繰られる狂者の真実、言い直せば、修羅道を彷徨う在り様は夷狄や鳥獣と変わらぬ畜生道に生死する命、それは風雅の誠とは程遠い境での出来事、すなわち、芭蕉の理想とする芸の道とは到底相容れない芸道、とみたのではないのか。

 芭蕉が「貫道するものは一なり」と挙げた芸道者達は、造化(自然の法理・自然法爾)に帰依・帰命した自覚者の虚心坦懐の境位、といえる。それは芸を通しての真の法理の実践、すなわち、芭蕉にとって芸は己が真に生死する為の術に他ならなかった。言い直せば、「笈の小文」における芭蕉の志した誠の風雅の道は、「像、花にあらざる時は夷狄にひとし。心、花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへ」ったところの聖道に他ならない。観客に夷狄や鳥獣と然程変わらぬ物狂の物真似をして見せる娯楽としての演劇ともみえる世阿弥の芸は、あずかり知らぬ芸事、として芭蕉には映ったのかもしれない。ましてや、無自覚・無明の者である物狂の姿・詞・振舞を物真似する演芸は、如何にせん、認めることができなかった、のかもしれない。

 「笈の小文」に世阿弥の能を挙げなかった原因についての以上の三通りの可能性は、いずれも可能性、推測の域を出ない想念、といってもよい。結局、芭蕉が能における世阿弥の名を挙げなかった真相は、藪の中、今以て謎であることには変わりない。

 「笈の小文」から下がること五年余り、「奥の細道」の旅を終えて程なく、芭蕉は今日「不易流行」と伝えられる俳諧の究極的な理念の自覚に至る。「奥の細道」の冒頭の章句「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。……」の詞の底には「只今天地俳諧にして万代不易に候」(去来宛の芭蕉書簡)、そしてまた「天地悉く風雅にして森羅万象みなはいかいなり」(てき人宛北枝書簡)と伝わる造化随順を徹底化した境涯、すなわち、山河草木鳥獣虫魚といったあらゆる生死する命あるものは、皆同じ運命を生きる同胞、夷狄であろうと鳥獣であろうと、永久不変の限りの無い命の許に変遷し生死する限りの有る命、夷狄も鳥獣も己の運命を自覚しない無明の命ではあるが、自然の法理の許、天地に生死する真の命に他ならないとみる境涯、いわば「笈の小文」における境地を更に深めた無量の器量へと深化を遂げるのである。

 誠の俳諧を詩作することは、成仏を遂げる手立て、真(まこと)の世界を建立する術、ともいえる。「只今天地俳諧にして万代不易に候」(去来宛の芭蕉書簡)に謂う俳諧、そしてまた「天地悉く風雅にして森羅万象みなはいかいなり」(てき人宛北枝書簡)に謂うはいかいとは何か。芭蕉の謂う造化は自然の法理、言い直せば、仏教にいうところの森羅万象悉皆成仏の自然の法爾、端的にいえば本懐を遂げる法理、成仏する法理、真の命になる法理、ともいえる。成仏することは浄土に住まうことに他ならない。浄土は仏法に包摂された安住の境域、ともいえる。芭蕉の謂った俳諧、そしてまた北枝が芭蕉から聞き取ったはいかいは、成仏する方途、すなわち真の命となる術を謂っている、といってもよい。

 『奥の細道』の「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。……」は、李白の「春夜桃李園に宴するの序」の詩句「れ天地は万物の逆旅げきりよ、光陰は百代の過客なり。しかうして浮生は夢のごとし」を踏まえた文言、芭蕉の不易流行説の源泉、といわれてる。

 李白、そして芭蕉の謂う天地とは何か。天地とは、本質的に、一体である真の法理の基が分岐した相即する二要素、形式で示せば天即地∞地即天の関係にある要素、ともいえる。不易流行の不易は限りの無いもの――無・法・空・心・光――、また流行は限りの有るもの――有・仏・色・身・影――、とみることができる。天地を不易と流行の範疇で観るならば、天は不易、地は流行、ということができる。更に敷衍すれば、天は光、地は陰、また天は法爾、地は自然、また天は逆旅げきりよ、地は過客、また天は造化、地は森羅万象、また天は誠、地は風雅、ともいえよう。

 「不易流行」は、色即是空∞空即是色の仏法が包含する標語、ともいえる。晩年の芭蕉は、森羅万象悉く、生命を肯定し平等にみる浄土門に近い深遠な自覚に到達する。其れは、造化に帰依・帰命した無の一物の眼差しと見識の深化したところの境位の開示、ともいえる。造化従順の徹底、といってもよい。言い換えれば、遊行的芸道から遊行的芸道即道行的芸道への変遷、それはまた聖道門的芸道と浄土門的芸道との融和、ともいえよう。

 元禄七年、芭蕉最晩年の病中吟「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」は、最後まで風狂を貫き通した遊行的心情、風雅をこよなく慈しみ愛でる慈愛の吐露、といってもよい。一方、同じく元禄七年、芭蕉晩年の旅懐の句「此秋は何で年よる雲に鳥」は、道行的心情、独り身を悲しみ哀れむ悲哀の独白、といってもよい。慈愛は限りの無い命と共に生きる想い、いわば遊行的心情とするならば、悲哀は限りの有る命をひとり生きる想い、いわば道行的心情、ともいえよう。芭蕉が晩年に辿り着いた不易流行の心境は、慈愛と悲哀とが相即する境位、すなわち慈愛即悲哀∞悲哀即慈愛の真の想い、夢想ともいえる詩情(Poesie)であったに違いない。

 斯様な境位の眼差しに映る花や月は、以前にもまして、誠の風雅を共にする天地の物であることは言うに及ばず、夷狄や鳥獣も等しく同じ天地に住まい生死する、誠の風姿と風情を具えた百代の過客のひとりとして映ったことであろう。

 然るが故に、芭蕉が不易流行の心境にあったならば、「風雅におけるもの、造化にしたがひ四時を友とす」るものの一人として、世阿弥の名を、屹度、挙げた事であろう。すなわち、「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、世阿弥の能における、その貫道するものは一なり」、と思うのであるが、さて、如何であろうか。


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