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自覚者達の芸道 21

島 青櫻

参  自覚の光景と営為

1―――私意と誠意

 服部土芳の著作、いわゆる『三冊子』は、向井去来の著作『去来抄』とともに、芭蕉の俳諧観の本質を伝える著書として著名な書作の1つ、といえる。多くの経典が弟子による師の伝聞の書であるごとく、両書は、芭蕉から直接聴聞した事柄を弟子が記した書物、といってもよい。

 『三冊子』は「しろさうし」、「あかさうし」、「くろさうし(わすれみづ)」の三部からなるが、就中「あかさうし」の序章(書き出しの総説的文言部分)の「師の風雅に萬代不易有。………内をつねに勤ざるものは、ならざる故に私意にかけてする也」は、芭蕉俳論の中心、いわゆる不易流行論、風雅の誠論、高悟帰俗論、等を一体的且つ関連的に陳述した、「三冊子」のなかでも最も重要なテキスト、といえる。

 今日、われわれが手にする『三冊子』の評釈本、或いは校注・訳本等は、何種類か存在する版本を底本にし、著作者自身の意図と解釈によって構成されたテキスト、といえる。本書が参照・参考とするテキスト――新編「日本古典文学全集」の八十八巻の俳論集の中の復本一郎の校註・訳「三冊子」(小学館)――は、復本氏の意図と解釈の基に、底本(石馬本『三冊子』)を題目的段落に分け構成した文章、といえる。そのテキストは、頴原退蔵校訂 の『去来抄・三冊子・旅寝論』(岩波文庫)と照らし合わせるとき、原典の文脈構成を大幅に編成為直した段落であることが明らかになる。本書が参照・参考とするいま一つのテキスト、能勢朝次の著作『三冊子評釋』(三省堂)にも同様なことがいえる。従って、その題目の次第によってテキストを読み込むことは、森をみて山をみずの譬えになりかねない。少なくとも、序章の前後の脈絡を考慮しつつ読み解くことがなにより肝要な方法、といえる。

 斯様な読み方をするとき、序章を通底するキーワードは、私意であることに気が付く。然らば、芭蕉が「私意をはなれよ」という私意とは如何なる情況をいうのか、それが見えたとき、芭蕉的にいえば、物の光がみえたとき、いわゆる不易流行、風雅の誠、高悟帰俗の諸俳論も、「一脈相通ずるに至れば、暗夜に火を打つが如く、一時に全体が明となる」と西田幾多郎がいうごとく、私意は文脈全体の関連を領解できる鍵となる語、といってもよい。

 芭蕉のいう私意とは、いわゆる分別、「世間的な経験、識見などから出る考え、判断」(『広辞苑』)であり、それに付随する俗情であり意欲、とってもよい。簡単にいえば、物事を主観的間接的にみる心構えを指している。分別心、すなわち私意は社会的経験を重ねるにしたがって養われる極普通の人間の常識的な心構えであり、今日でもややもすれば肯定的に評価される意識の在り様、といってもよい。

 しかし、蕉風俳諧の世界においては、「物あらはに云出ても、そのものより自然に出る情にあらざれば、物と我二つなりて其情誠にいたらず。私意のなす作為也」と私意をもって事に応ずることは否定される。禅学の素養をもつ芭蕉のいう私意は、禅学にいう念慮、はからい、造作の心を指している、といってもよい。それは、自分を外界から隔てる小さな殻の視界裡から、専ら、事象的な感覚的世界を認識する偏波な心の状況を指している、といってもよい。換言すれば、私意は、己が依って立つ根拠である大本の生命的働き――あらゆる自然物を生成し加護するとともに、森羅万象を基付ける自然の法理の働きとしてのまこと、若しくは、万物の究極的拠所としての真理、または宗としての理――を閑却・乖離した無自覚的実存の心の働き、ともいえよう。真の法理の働きを本意と呼ぶならば、私意は本意に則さぬ心、いわば、不本意の心の働き、ともいえる。

 然らば、此れ迄、仏法・心法・命の法・自然の法理とも呼んできた真の法理の働きである本意に則した実存の心の働き、いわば、誠意ともいえる働きは如何なる心を謂うのか。答え。誠意とは私意を離れたところの本来の心、芭蕉の口吻をもっていえば、造化に従い造化に帰ったところの心、言い直せば、自然の法理的働きである本意と相即する自覚的実存の心の謂、といってもよい。

 此処に謂う自覚とは、デカルトの「我思う、故に我あり(cogito,ego sum)」のいわゆる「考える我の存在」の自意識としての自覚の謂ではない。デカルトの自覚は、自己存在が依拠する所在を閑却した分別的情態に基づく自意識に他ならない。此処に謂う自覚は、自己の存在を可能にしている所在に直面し、その存在に気付くときに発する問い掛け、すなわち人間として有る自己は何者かを問う、最も根源的な自問を契機とする内省における真の覚悟の謂、といってもよい。換言して言えば、自覚とは、人間という限りある命を可能にしている依拠である地球、更に地球というやはり限りの有る天体の成立を可能にしている在所、其れは限りの無い透間、いわば、全天体宇宙を生成し加護している天理の揺籃、己という存在は其の揺籃を依拠とする一箇の限りの有る命、すなわち自然の道理としてのまことの覚醒と其処に依拠する己の運命の覚醒、すなわち真における自己存在と限りの有る命である自己存在、という二重のアイデンティティの覚悟の謂、といってもよい。

 自然の道理に帰依・帰命した自覚者の誠意の働きは、真を直覚する認識の働きであると同時に、本意に直接する認識の働き、すなわち無の一物における心の働きからなる。不易流行の範疇から言えば、本意としての真の心は恒常的、つまり不易の働きであるとすれば、自覚的実存の真実の心は無常的、つまり流行の働き、ということもできよう。法相仏教の法身の範疇――法身を基とする法性法身と方便法身――との比較でいえば、真自身は法身、真の心は法性法身、真実の心は方便法身に当たる。不易における真の心と流行における真実の心、この二つの心は相即関係、すなわち、根本のところでは相互に融合する一体の心の二態の間柄にある。然るが故に、芭蕉は、この自覚的実存の真実の心を誠と呼んだのである。斯様な真の心の範疇からいえば、私意は、恒常的な不易の境界と無常的な流行の境界とが相即する一元性の境界、言い直せば、乾坤の真の理法を認識し得ない、ひたすら無常的流行の境界にのみに執着し生死する無自覚・無明な心、といってもよい。

 私意、すなわち無自覚無明の心を内面的にみるならば、ヤスパース哲学を考究した哲学者草薙正夫のいう「限界状況の意識」ともいえる。「限界状況の意識は、世界内存在の究極的な有限性や相対性の意識であり、〈護られていないこと〉の意識であり、この世界内においては、われわれが絶対的に信頼のできる何ものも存在しないという実存的な絶望感・不安感・孤独感である」( 『文学』 岩波書店 昭和四四年 通巻号数不明)、言い直せば、それは己が依って立つ根拠を喪失した空虚な境域に生きる意識の開け、ともいえる。

 「高くこころをさとりて俗に帰るべし」、つまり高悟帰俗のモットーは、真の心を自覚し真実の心をもって俗界、すなわち事事無碍界における現実的営みとしての誠の俳諧の創作に処する当為を指している、といってもよい。端的に言えば、高悟帰俗は私意を離れた真実の心に基づく誠の営為に他ならない。

 蕉門俳諧では、風雅とは詩歌・文芸としての俳諧を指す。また、芭蕉の謂う誠は、事事無碍界における真実の心、いうなれば無の一物の思念、ともいえる。然るが故に、芭蕉の謂う風雅は誠の俳諧、流行における事態、風姿即風情の事事無碍の境における真実の出来事、といってもよい。序に言えば、風流、風雅、風情、風姿,等の風は、流行における命の気息、呼吸といってもよい。

 端的に言い直せば、風雅は真の法理における出来事、不易の心に即した流行の心の営為、といってよい。誠とは、乾坤の大本の働きである真の心に即した真実の心を指していることからすれば、誠の風雅とは、私意を離れ真の心に即した真実の心が為す俳諧、芭蕉の口吻をもっていえば、心法の俳諧に他ならない。結局、誠の俳諧とは私意を離れたところの誠意の営み、といってもよい。

 不易は、真の心の境界、法性法身の境域、理事無碍における理の間、ともいえる。また、流行は、真実の心の境界、方便法身の境域、理事無碍における事の間、ともいえる。然して、不易の間と流行の間とは、相依相属する間柄、不易即流行∞流行即不易の関係にある。芭蕉の謂う不易流行とは、先に見た如く、真の心という恒常的様態である不易相と万物の流転という無常的様態である流行相とが一如の事態、つまり相矛盾する様態が対立しつつ、その底では一体である情況を謂う。簡単に言えば、不易流行は真の法理の仕組の標語、といってもよい。或いは、真実の心である誠意が直覚的に捉えた法理即道理の真の光景のモットー、といってもよい。私意を離れた誠意の直覚に映る時態、ともいえよう。更に言えば、不易流行は風雅の誠である真実の心が自覚した理念、ともいえよう。

 「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」は、私意を離れたところの誠意の営為を提喩的にいった詞であり、或いは、「俳諧は三尺の童にさせよ」は、やはり、私意を離れたところの誠意の営為、すなわち真実の心の営みを暗喩的にいった詞、ともいえる。

 しかし、問題は「あかさうし」の冒頭の詞、「師の風雅に、万代不易あり、一時の変化あり、この二つに究り、その本一つなり。その一つといふは風雅の誠なり」の文意を翻訳すれば、蕉風の風雅、すなわち誠の俳諧には、万代不易の風雅、つまり不易の風雅と、一時の変化の風雅、つまり流行の風雅とがあるが、根本のところでは、不易の風雅と流行の風雅とは相即し一つである、つまり、不易の風雅と流行の風雅は、風雅の誠の二つの表現上の様式、つまり風体である、と読める。何を問題にしているかといえば、芭蕉のモットー不易流行を私意を離れたところの風雅、つまり誠の俳諧の表現上の様式範疇、すなわち、蕉風俳諧には万代不易の句と一時流行の句があるがその本は風雅の誠の句、として土芳が聞き取ったことにある。端的いえば、心法、すなわち真の法理の標語の範疇理念である不易と流行を、土芳は誠の俳諧の表現範疇として捉えたところにある。つまり、土芳は「誠における風雅」を「風雅における誠」として捉えた、といってよい。換言していえば、芭蕉の乾坤の理としての不易流行の把握は私意を離れ真の心に即した真実の心、すなわち誠意おける認識、といってよい。一方、土芳の蕉風俳諧の表現様式としての不易と流行の把握は私意における認識、といってよい。土芳は芭蕉の乾坤の理を謂う不易流行の詞を、私意の無自覚な耳目をもって風雅の表現範疇を謂う詞として受け止めた、といってもよい。

 「わすれみづ」には、「師、句作り示されし時、〈腹に戦ふもの、いまだあり〉となり。感心の趣なり。是、師の思ふ筋にうとく、私意を作る所なり。元を勤めざれば成るといふ事なく、ただ私意を作るなり。工夫して私意を破る道あるべし。」と、土芳の句作りには、私意によるところがあると、芭蕉に指摘され、暫く自省する件がある。土芳の認識が、平常底、私意に基づいていたことのひとつの証、といってもよい。

 新編「日本古典文学全集」 (小学館)の八十八巻の俳論集の中の堀切実の校註・訳『去来抄』の「修行教」にも、「あかさうし」と同じく「不易流行」に触れた件がある。

去来曰く「蕉門に千歳不易の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教え給へどぼ、その元は一つなり。(略)」。魯町曰く「俳諧の基とはいかに」。去来曰く「詞にいひがたし。およそ吟詠するもの、品あり。歌はその一つなり。その内、品あり。俳諧はその一つなり。(略)」。魯町曰く「不易の句の姿はいかに」。去来曰く「不易の句は俳諧の体にして、いまだ一つの物数寄なき句なり。一時の物数寄なき故に古今に叶へり。(略)」。魯町曰く「流行の句はいかに」。去来曰く「流行の句は己に一つの物数寄ありてはやるなり。形容・衣裳・器物に至るまで、時々のはやりあるがごとし。(略)」。魯町曰く「不易流行、その元一つとはいかに」。去来曰く「この事弁じがたし。あらまし人体に譬へていはむ。まづ不易は無為の時、流行は坐臥・行住・屈伸・伏仰の形同じからざるごとし。一時の変風なり。その姿は時に替るといへども、無為も有為も、元は同じ人なり」。(略)魯町曰く「不易流行の事は古説にや、先師の発明にや」。去来曰く「不易流行の事は万事に渡るなり。(略)先師、はじめて俳諧の本体を見つけ、不易の句を立て、また風は時々に変ある事を知り、不易と流行との句を分かち教へ給ふなり。(略)」。(略)去来曰く「蕉門に不易流行の説々あり。あるいは今日の一句一句の上をいふ説あり。是も流行にあらずといおひがたし。しかれども、不易流行の教へといふは、俳諧の本体、一時一時の変風との事なり」。

 結局、「修行教」の文言を読むかぎり、去来の不易流行の把握は土芳のそれと大方同じ、といってもよい。すなわち、芭蕉のモットーである不易流行を、去来は土芳と同じく、私意の耳目をもって受け止めた、といってもよい。不易も流行も、俳諧の一時一時の風体、その風体の基は、およそ吟詠するものとしての変風であると、分別の耳目によって理解した、といっても差し支えない。流行の句は一時のはやりの句、不易の句は古今変らぬ不変の句、と分別する二元論的認識は、私意によって把握されたものであり、芭蕉の乾坤の理を謂う標語である不易流行のまったくの誤解、といえる。私意の認識においては、不易即流行といった私意を離れたところ、一元性の境域における自覚的直観の把握はどこまでいっても出て来ることはない。

 「門弟の中に底をぬくものなし」(「俳諧問答」)と芭蕉が言うときの「底をぬく」とは、私意を離れて造化に帰依する、つまり私意の解脱の示唆、ともいえよう。詮ずる所、土芳も去来も脱私意を徹底できなかったといっても、強ち、間違いとはいえまい。

 私意を離れるということは、いかに難しいことであるか、芭蕉の教えをまじかに見聞した土芳や去来でさえ私意を離れる実践を徹底できなかった、といってもよい。私意によって物事を見聞しようとする認識傾向は、両刃の用を備え持つ人間的存在に課せられた根深き宿癖、といってもよい。その認識傾向は、芭蕉の時代ばかりではなく、今日のわれわれの時代においては、増々その勢いを増し、世界中の人間の思惟の方途を席巻している、といっても差し支えない。平素、一般的な成人の意識は自己が依拠する在所を閑却した私意の状態、分別的常識裡に心が開かれており、人間的存在の認識を成り立たせている根拠としての真の心の働き、すなわち自然の法理の働かぬ無自覚の心の裡にある。それ故に、この私意の状態においては、真の心は決して知ることは出来ない。従って、芭蕉の「造化にしたがひ、造化にかへれ」の標語、すなわち私意を離れ誠意の道に入る処方である造化帰依の箴言を、私意の認識をもって習い憶えることを幾ら積み重ねても、言い直せば、いくら頭で分別的に理解しても、真の自覚、すなわち真実の心の直覚を得る機会を持たない限り、本来の心の働きである誠意は出て来ず、真の認識に至ることはない。

 夏目漱石の「即天去私」、斎藤茂吉の「実相観入」、或いは、加藤楸邨の「真実感合」、言葉は異なるが孰れの標語も皆同じ事を謂っている。何かと言えば、詩歌や詩文を創作する上での最も正統なモットー、といってもよい。端的に言えば、真の言葉を得る手立て、延いては真っ当に生きる術、といってもよい。孰れの標語も私意を解脱する「地ごしらえ」の手立ての言葉といってもよいが、孰れも言うに易く行うに難きモットー、芭蕉の造化帰依と同様、真の自覚がなければ、いつまでたっても標語の謂わんとするところの真意を聞くことができない。敷衍して言えば、凡そ、物事の真正の把握は、私意の耳目を用いている限り、どんなに耳目を欹てても真正の姿は見えてこず、また真正の声は聞こえてこない。私意にあっては、真正を得る処方の言葉は心の底には届かない。私意の耳目に届くのは、不易流行の範疇で言えば、流行相、目に見え耳に聞こえる感覚的世界のみであり、不易相、目には見えない清明の光の世界、耳には聞こえない静寂の響の世界は、与りながらも、真正には関知できないが故に、分別的知識によって事態や言葉を表面的且つ感覚的に認識し、不覚の会得に終始する、とってもよい。言い直せばその認識内容は、教室や講座などで習い憶える教養的知識の域を出ない通俗的常識裡における即物的見識であり、そこには人間の当為、まさになすべきこと、まさにあるべきことの指標を与える誠意の見識が欠落している、といってもよい。

 真正の認識を得るには、私意を離れ、本来の心の働きである誠意を持たなければならない。誠意は真の自覚より齎されるものであれば、真の自覚を自得する機会、いわば、コペルニクス的転回の如き根源的経験がなければならない。自得とは、自らの心身の底から感じ入り、感じ取る、それこそ、文字通り、一生懸命の営み、といってもよい。一頃、禅に参学した芭蕉は、禅の公案という自得をえる工夫、すなわちまことの自己を覚悟する手立てを機会にし、真の心の自覚を自得し私意を離れた、と伝え聞く。然る後、即刻誠の俳諧を会得し、蕉風俳諧開眼の句「古池や………」が誕生した、と伝え聞く。真の心の自覚を会得する、すなわち覚りの機会としての公案は極めて有力な工夫であることには間違いない。結局のところ、本来の心の自覚は自得する以外ない。が、さながら、斯様な機会、つまり公案に拠らぬ工夫、私意を離れて本来の心である誠意に至る手立て、すなわち自得の方法は無いのか有るのか、有るとすれば、どんな手立てが考えられるのか。

 禅宗の開祖と伝えられる菩提達磨には、いわゆる「二入ににゅう四行説しぎょうせつ」と呼ばれる語録がある。二入四行説とは、簡単に言えば、悟りを得る方法論、言い直せば、私意を離れて誠意に入る手立て、ともいえる。二入四行説の要旨は、悟りを得るには理入りにゅう行入ぎょうにゅうとがある。『達磨の語録』の著者柳田聖山の註解によれば、理入は「原理的ないたり方であり、……経典によって仏教の大意を知り、生きとし生けるものは、凡夫も聖人もすべて平等な真実の本質を持っているが、ただ外来的な妄念にさえぎられて、その本質を実現することができぬだけのことだと確信するのであり、もしも、妄念を払って本来の真実にかえり、身心を統一して壁のように静かな状態にたもち、自分も他人も凡人も聖人も、ひとしく一つになるところに、しっかりと安住して動かず、決して言葉に教えによらないならば、それこそ暗黙のうちに真理とぴったり一つになり、分別を加えるまでもなく、静かに落ちついて作為がなくなる」方法、一方、行入は実践的ないたり方であり、それには四つの方法がある。「第一〔の報怨ほうおんぎょう〕は前世の怨みに報いる実践であり、第二〔のずいえんぎょう〕は因縁に任せる実践であり、第三〔の無所むしょぎょう〕はものを求めぬ実践であり、第四〔の称法しょうほうぎょう〕はあるべきようにある実践である」、と平明に註解している。

 詮ずる所、達磨の二入四行説は、一般的人間の平常の無意識情態である執着心、分別心、すなわち私意ともいえる識域から解脱し、法理、すなわちダンマ(danma)の識域に帰入し冥合する術、といってもよい。理入と行入の方途の差異は、仏教の自力・他力の範疇で言えば、理入は聖道門的な自力による確信的帰入であり、行入は浄土門的な他力に依る信仰的帰入、ともいえる。理入は法の自覚において、行入は法の信任において解脱が齎され、悟りの道に入る術、といってもよい。孰れも証入による方途、といえる。証入の一般的意義は、「正しい智恵によって真理を悟ること。悟りの世界に入ること」(『広辞苑』)、とある。心情的側面から言えば、証入とは保証、すなわち安心、いわゆる無上むじょう安穏あんのん安穏の境地、換言すれば、仏法の境界に帰依・帰命する謂、ともいえる。


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