自覚者達の芸道
島 青櫻
おわりに
注記:われわれは本書において宇宙の大本的なものを
起―――根拠 の喪失
天の川銀河、就中太陽系の惑星に生死する
かような過酷な法式が実践されるとき、創造における真の心中はかような過酷な宿命を生死せざるをえぬものの
現況の
喰うことは本来他の命を奪う行為、喰うことを目的とする
今日の憂うべき事態と時態を招いた始原は、森羅万象を可能ならしめている在所である
根拠を閑却した思惟は、やがて科学的思惟へと継続されます。根拠不在の科学的思惟は、今日の地球を席巻する顕著な時態、物質的価値を中心におき精神的価値を度外視する風潮、道義的基軸を喪失した根拠乖離の時態を拡散した根本要因、といえます。西田幾多郎の『働くものから見るものへ』の範疇に習えば、物質的価値を中心とする西洋的思惟は
今日の根無し草のごとき人間生活を招いた根本原因は、物事の様子に心を奪われ、心の奥底に気分や感情として顕現している根拠の根本情調(Grundstimmung)を閑却し顧みない偏頗な心構えにあります。根本情調は
おしなべて、初期の新生人類は心の奥底に絶えず鳴り響いている通奏低音の如き自然宇宙の根本情調を基軸にし、自然宇宙と一体となって生きていた、と想像することができます。際限のある不完全な人間は真の根本情調と共感(Sympathie)するとともに共鳴(Resonanz)するとき、はじめて完全な
承―――自然 の法理の実践
われわれがみてきた自覚的芸道者――西行・宗祇・雪舟・利休・世阿弥・芭蕉・ヘルダーリン――の自覚は、東洋的思想の本質的特徴、すなわち自己という存在は自然という限りの無いものに依拠する限りの有るものと掴む思惟、要するに大本における自己把握、いわば、
西洋的自覚と東洋的自覚を比較するとき、西洋的自覚の傾向は眼前に拡がる事態を間接的に掴み、それを分別し解明する科学や技術に向かう私意の把握(Verstand)、といえます。一方、東洋的自覚の傾向は眼前に拡がる事態を直接的に掴み、それを
自覚的芸道者に共通する姿勢は、自身が依拠する自然に帰還し、自然の法理に相即随行するところにあります。自然に帰還した自覚者の営為は、自然の法理の実践であります。根拠律ともいえる自然の法理の本質は、みてきたごとく、呼応的対話による交感和合、つまり詩作による真実の自己形成であります。
本文のキー・ワード――
自然の法理は詩作の法理であることからすれば、自然が詩作した形象作品はすべて
真の
更に敷衍して言うならば、
転―――根拠 における詩作行為
一般的にいえば、私意を離れ根拠に帰依帰命したあらゆる命の営みは、いわゆる詩人の言葉による詩作は言うにおよばず、自覚者達の芸事も、また、大地を鎮め
自覚的芸道者が求めたものは、一つに、
こうした自覚者達の諸々の芸術的詩作行為こそが、天の川銀河、就中太陽系の惑星に生死する
とはいえ、この最も確かで有力な可能性を秘めた方途は、最も険しく困難な方途でもあります。限りの有る人間の一代一度の努力によっては目標を達成することは不可能な
結―――真 を成す心構え
AI(人工知能)をはじめ、今日の科学技術の目まぐるしい散乱に心を奪われ、何が本当に大事なのかを省みることをしない昨今の
否。敢えて弁明すれば、筆者の提言は根拠と根拠における己の自覚を得たところに映る情景を
われわれは本文の中で幾つかの自覚(Selbstbewußtsein)をみてきています。一つに、根拠と根拠における己の自覚、二つに、己の命運と使命の自覚、そして、いまみた真の永遠の遍歴を実現する歴史的継続者としての己の自覚、いわば真を実現する上での心構え、こうした心構えをもって道義的基軸を喪失した現実から逃避することなく、その只中にあってわれわれひとりひとりの本来の命を粘り強く尽くすことがなにより肝要、と信じるにいささかも怯むところはありません。
筆者二十代半ば、集中的に読んでいたハイデッガーの著作の一つ、『ヘルダーリンの詩の解明』に引用されたヘルダーリンの詩句 « Voll Verdienst,doch dichterisch, Wohnet der Mensch auf dieser Erde. » ――「いさおしは多けれど、しかも、人間はこの地上に於いては詩人として住んでいる。」(手塚登美雄・訳)、「功績にあふれているけれども、人間はこの大地の上に詩人としてすむ。」(濱田恂子・訳)――、この一節の言葉との出会いによって、以後の人生はこの一節の詩句が意味するところを探り考え続けることに振り向けられた、といっても過言ではありません。この一節の詩句は絶えず心の奥底に絶えず響いている通奏低音の如き基本的情調を伴った箴言となっています。
そして今、「自覚者達の芸道」という回想(Andenken)の詩作(Dichiten)を成すことによって、長年の謎であった詩句の一語›dichterisch‹、「詩の、詩的な、文学的な、詩人の」といった多義的な形容詞にヘルダーリンが籠めた想いをようやく聴き取ることができ本懐を遂げた,ともいえる心境に落ち着いております。
聴き得た
そして、ここから更に敷衍して言えば、
›Was bleibt aber, stiften die Dichter.‹
《留まるものをしかし打ち建てるのは詩人らなのだ。》
ヘルダーリンの詩『回想』の中の詩句です。ここに言う留まるもの(Bleibenden)とは、永遠なるもの、あるいは絶対時(Absolute Zeit)、不易流行のパラダイムでいえば不易なもの、ともいえます。われわれの用語でいえば、
›Was bleibt aber, stiften die Dichter. ‹「留まるものをしかし打ち建てるのは詩人らなのだ」(三木正之・訳)。だが、しかし、何故に留まるものを打ち建てるのは詩人なのか、と問うならば、それは詩人とは聖なるものの境域に帰依帰命し真に開かれた真実の人間、すなわち、本質的に神々との語りである詩作を以て聖なるものを建立するが故に、と聴き取ることができます。真の詩人の詩作は、聖なるものの立場からみるならば、詩人の命運の
しかして、先のヘルダーリンの詩句「人間はこの大地の上に詩人としてすむ」は、真を実現する詩人の心構えの謂、と聴くことができます。そして更に、芭蕉の「笈の小文」の一節の詩句「その
ここにいう心構え(Bereiten)とは、
このような心構えに映る自然宇宙の様相は、過去への内省と未来への憧憬とが一つになった
改めて言えば、自然宇宙の気息に息を合わせて事に向うとき、心構えを持たずに毎日見ていたそれまでの自然宇宙の様相が、
かくして、今日の道義的基軸を失った窮乏の時代にあって、肝に銘ずるべきことは、真の根本情調に開かれた詩人ひとりひとりの心構えと忍耐強き努力によって
木の芽風
文献目録
ア行
『一日一禅』 秋月龍珉・著 講談社
『行きて帰る』 山本健吉・著 河出書房
『翁』 「KAWASHIMA」三五巻 川島織物
『お能の見方』 白洲正子 吉越立男・著 新潮社
『ウイトゲンシュタインと禅』 黒崎宏 哲学書房
『ウイトゲンシュタイン・文法・神』 アラン・キートリー・著 星川啓慈・訳 法蔵館
Martin Heidegger “Identität und Defferenz” Klett-Cotta
Martin Heidegger “Erläuterungen zu Hölderlins Dichtung” Vittorio Klosterman
カ行
『狂の精神史』 中西進・著 講談社
『去来抄』 堀切実・校注・訳 小学館
『去来抄・三冊子・旅寝論』 頴原退蔵・校訂 岩波書店
『金剛経の禅・禅への道』 鈴木大拙・著 春秋社
『根拠律』 M・ハイデッガー・著 辻村公一 ハルトムート・ブッフナー・訳
『広辞苑』 岩波書店
サ行
『西行』 目崎徳衛・編 法蔵館
『西行と定家』 安田章生・著 講談社
『三冊史子』 復本一郎・校注・訳 小学館
『三冊子評釋』 能勢朝次・著 邑書林
『浄土三部経の真実』 坂東性純・著 NHK出版
『字訓』 白川静・著 平凡社
『親鸞と道元』 「国文学」第三三巻二号 学燈社
『世阿弥と利休』 桑田忠親・著 至文堂
『世阿弥・花と幽玄』 「国文学」第二五巻一号 学燈社
『世阿弥芸術論集』 田中裕・校注 新潮社
『世界の神話入門』 呉茂一・著 講談社
『雪舟』 吉村貞司・著 講談社
『千利休』 唐木順三・著 筑摩書房
『宗祇 浪漫と憂愁』 井本農一・著 淡交社
『宗祇』 荒木良雄・著 創元社
『造化のこころ』 栗田勇・著 白水社
タ行
『達磨の語録』 柳田聖山・著 筑摩書房
『東洋の理想』 岡倉天心・著 宮原芳彰・訳 ぺりかん社
『道元と世阿弥』 西尾実・著 岩波書店
『道元入門』 秋月龍珉・著 講談社
『同一性と差異性』 M・ハイデッガー・著 大江征四郎・訳 理想社
Martin Heidegger “Der Satz vom Grund” Klett-Cotta
ナ行
『日本的霊性』 鈴木大拙・著 岩波書店
『能の時間』 長尾一雄・著 河出書房新社
『能の表現』 増田正造・著 中央公論者
ハ行
『芭蕉句集』 大谷篤蔵 中村俊定・校註 岩波書店
『芭蕉の言葉』 復本一郎・著 邑書林
『芭蕉文集』 富山奏・校注 新潮社
『芭蕉年譜大成』 今 栄蔵・著 角川書店
『働くものから見るものへ』 (西田幾多郎全集第四巻) 西田幾多郎・著 岩波書店
『般若経典』 中村元・著 東京書籍
『仏教の根底にある物』 玉城康四郎・著 講談社
『ヘルダーリンの詩の解明』 M・ハイデッガー・著 手塚富雄・他・共訳 理想社
『ヘルダーリンの讃歌「回想」』 M・ハイデッガー・著 三木正之 ハインリッヒ・トレチアック・訳 創文社
『ヘルダーリンの讃歌「ゲルマーニエン」と「ライン」』 M・ハイデッガー・著 木下康光 ハインリッヒ・トレチアック・訳 創文社
Martin Heidegger “Hölderlins Hymnen ›Andenken‹” Vittorio Klosterman
Martin Heidegger “Hölderlins Hymnen ›Der Germanien‹und›Der Rhein‹” Vittorio Klosterman
マ行
『曼荼羅』 松尾有慶・著 大阪書籍
ヤ行
『唯識とは何か――「法相二巻抄」を読む』 横山紘一・著 春秋社
『夢』 「仏教」二三巻 法蔵館
『謡曲集』 伊藤正義・校註 新潮社
ラ行
『連歌論集 能楽論集 俳論集』 校註・訳 奥田勲 表章 堀切実 復本一郎
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